『れもん・どりゐむ4』

 この3年間は、わたしにとって本当に贅沢な時間であった。
 まず、彼女に出会えた。知人から紹介してもらった、「おしっこが我慢できない女の子」は、現役の女子高生だった。
 そして、彼女と話をすることができた。彼女のおしっこにまつわる話を、直接彼女に聞くことを許された。
 これはもう、奇跡としか言いようがない。大げさでなく、奇跡だ。
 女の子の排泄についての話を本人から直接聞けるなど、まずあり得ないと思っていたし、実際彼女に出会うまで、そんな機会は一切なかった。
 しかも、話のすべてがおもらし、おねしょについてである。あろうことか、その逸話はひとつふたつではなく、それこそ数限りなくある。
 繰り返しになるが、これを奇跡と言わずして、何と言おう。
 決して知ることのできなかった、女の子のおもらしの体験談。あるときは教室で、あるときは通学路で、あるときは繁華街の商店で、そしてあるときは自室のベッドで。
 それらすべてを、必ずしも好意的には彼女は話してくれなかったけれど、それでも、本人から直接、事細かに様子を聞くことができた。
 奇跡であり、夢のような時間である。
 わたしのようなものからすれば、彼女の存在自体が奇跡であり、夢のようであった。
 日常的におもらしをしてしまう女の子、もはやそれ自体が夢のようである彼女が、目の前にいて、時にはにかみ、時に頬を膨らませ、自身の身に起きた出来事を話してくれる。信じがたい現実。
 どれほど想像をめぐらせようと、他人になりきることはできない。少なくとも、わたしは。
 どれほどおもらしについて想像しようと、おもらしそのものを再現することはできない。
 そのもどかしさ、決して手の届かないものへの、切ない憧れ。
 どこか後ろめたく、けれど抑えがたい憧憬を、彼女が叶えてくれた。
 話を聞きながら、別れ際にいったいどんな言葉をかけたらよいのか、胸の内のどこかで考え続けていた。
 ありがとう、なのか、ごめんなさい、なのか、それとも、これからもがんばって、なのか。結局、いまでも分からない。
 けれど、彼女と過ごした時間はわたしにとって、この上なく贅沢なひとときであったことは確かである。彼女は、わたしの夢を叶えてくれたのだから。夢が叶った、と実感できる瞬間が、人生のうちでどれほどあるだろうか?
 わたしの夢を叶えてくれた彼女へ、精いっぱいの感謝の言葉を考えつつ。

 彼女の名は、

夢泉 みはる

 次の春が来れば、高校を卒業し、きっと新たな未来へと進んでいく、おしっこが我慢できない女の子。



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