『わたしたちのハーモニー』

−1−

 クラスメイトって面白いって思う。そりゃあ、カチンとくることもたくさんあるけれど。
でも最後には、このクラスでよかった、このクラスのみんなとあえて良かった、って、思えるんだ。

 「はい、もう一回やろう、ね?」
りえこは内心のイライラを押さえつけるみたいに、わざと喉から優しい声色を絞った。
女子の何人かは、左右を見回して目配せしてからこっちを向くけれど、楽譜を見たり寒そうに 両手をすり合わせたりで視線を落したままの女子が何人かいて、その後ろにいるもう何人かは 何か囁き合いながら、明らかに不愉快そうな眼を向けている。
「はい、もう一回テープかけるから、まず聞いて」
 視界に入るとイライラする。左手は膝上まであるカットソーの裾をぎゅっと握ったまま、 くるりと向きを変え教壇に置かれたコンポの再生スイッチを押す。ぶつん、と音がして、 少しの走行音の後、くぐもったピアノの旋律が流れ始める。
 なんでみんなやってくんないんだろ。こんなことしててなにが面白いの。
 1月も半ばを過ぎたある日の放課後。陽はそろそろ、淡いオレンジ色に変わりつつある。
けれど、校舎の4階、4組ある六年生の教室からはどこも、歌声とピアノの音が響いていた。
「はい、ここまでまず歌えるようにしようよ」
 がちゃり。曲が途切れるのとほとんど同時に停止ボタンを押すと、少女はなるべく笑顔で教室の中央に向き直った。
 安西りえこ、6年3組では、それほど中心的な存在ではない。明るくて、友達も少なくはないけれど、 多少じぶん勝手なところもあって、良く言えばマイペース、悪く言えば、付き合いが悪い。 身長はクラスの真ん中ぐらいで、体型はややほそめ。そろそろブラジャーを身につける友人もあらわれ、 洗面所では女の子同士のないしょ話がささやかれたりして、「えー、うそー!」、なんて大声を出してから あわてて口を押さえてあたりを伺うようなクラスメイトたちを、りえこは横目で見るばかりだった。
 そんな彼女の、唯一、と言っていい趣味は歌だった。小さいころからピアノを習っていたし、歌も決して下手ではない、 むしろ、うまいくらい、口には出さないけれど、そう思っていた。だから、合唱コンクールの女子パートリーダーに 彼女が立候補した時も、反対する声はなかった。ああ、りえこちゃん、歌好きだもんね。よくひとりで歌ってるもんね。
 2月のはじめに行われるクラス対抗合唱コンクールは、年度最後の一大イベントだ。 ましてや、六年生ともなれば、小学校最後のクラス行事となる。優勝を勝ち取り、 ステージ上で抱き合い泣き崩れる先輩たちに、りえこは憧れと羨望のまなざしを送り続けてきたし、 きっと六年生の自分はあそこに立っているはずだ、胸のおくで、そう信じていた。
 コンクールで優勝するクラスは選曲から違う。聞いたこともない合唱曲を選んでくる。 ことしの1組は、ゴスペルっていう英語の歌を歌うらしい、4組は、4部合唱でさいごのところは6部に 分かれるんだって、そんなうわさが聞かれていたから、3組でうたう歌が多数決の結果、音楽の教科書に載っている ありふれた2部合唱の曲に決まったときは、思い切り机を叩きたいくらいだった。こんな歌じゃ負けちゃうよ、 1組と4組のこと、知らないの?
 それでも、楽しんで歌えれば勝機はある、採点は教師による投票、歌のうまい下手よりも、 楽しい雰囲気に共感してくれる先生は少なくないはずだ。なのに。
 「なんでみんなそんなに、つまらなそうに歌うかな」
つい口に出してしまってから、しまったと思った。
 教室を対角線で分けた反対側、後方の窓側では、男子たちが練習をしている。 もともと合唱コンクールにはあまり興味のない男子たちだ。見かねた先生が3、4人づつを集めて、 キーボードで音を取っている。呼ばれなかった男子は、3、4人でかたまって、おしゃべりなんかに花を咲かせている。
「(やっぱり、女子が引っ張っていかないと)」
 イライラしたってしょうがない、分かっている。でも、女子の張りのない声を聞けば、 下を向いてばかりの表情を見れば、おのずと気持ちも見える。勝ちたくないの?
 じっとしていると腹が立つ、りえこは、自分の楽譜の置いてある壁際の席を足早に目指した。 別に用はないけれど、じっとしていたくない。
 「りーこ、あんまり怒らない」
 女子の雰囲気を察してか、あるいは上ずりはじめたりえこの声を聞いてか、 列の左端、壁際にいた少女が小声で話しかけた。
 水瀬りん、親友、とまでは言わないけれど、 クラスで何かと孤立しがちなりえこの、良い話し相手だ。
「分かってるけど、こんなんじゃ楽しくないよ」
りえこは、あたま一つ分大きい水瀬に隠れるようになりながら、つぶやいた。
 見たくないけれど、目で追ってしまう。一番うしろの列の女子、もういいかげんにしてよ、 帰りたいんだけど、見下ろすような眼がそう言っている。
 手鏡を見ながら前髪をなおしている子がいる。あの髪絶対染めてるよ、 地毛であんなに茶色いわけないじゃん。顔を見合わせておしゃべりをしている2人がいる。 あ、いま飴食べてるでしょ、いけないんだ。机からペットボトルを取り出し口に含む子がいる。 持ち込み禁止、その場所なら、先生からは見えないんだもんね。 あの子とたちとは住んでる世界が違うよ、一緒になんかできるわけないじゃん。



←Top 次→