『あさがえり』

―1―
 そうだ、夏休みの朝。誰もいない道、吹きぬける風が空まで連れて行ってくれそうで、すがすがしい、って、こういうのを言うんだ。そうそう、ラジオ体操。首から出席カードをぶらさげて、はんこの数、かぞえたりして。待ってよぉ、わたし、いつも誰かを追いかけていた。

 まぶたが、でろでろ溶けて落ちてきそうに重いのに、目がぱっちり冴えていて、まんがだったらほら、全身は黒いシルエットなのに目だけ白いまんまるになってる、あんな感じ。
 ホームが見えて、降りなきゃ、って思ったのに、寄りかかっていた扉が開いてはじめて、あ、こっちが開くんだ、慌てて気づいて、体勢をなおす。プラットホームの先頭にいたスーツのサラリーマンさんが、扉のそばでよたよたしてるわたしを見て、ちょっと眉間にしわをよせながら、隣をすり抜けていった。はい、降ります降りまーす。
 かん、かん、かん、グラディエーター・サンダルの底の硬質な音が、早朝の階段の雑踏に、ひときわ響く。へぇ、こんな時間でもけっこう人いるんだ、ご苦労様です。
 自動改札を通り、右手に曲がろうとして、あ、そうだ。視界の左隅に飛び込んだ駅なかコンビニに向かう。もうずっと、胃と言うか、胸がきりきりする感じ。これ、どうすれば楽になるかな、何か食べればいいのかな。何を買っていいかよくわからなくて、とりあえず一番奥の飲み物の棚から、乳酸菌飲料のペットボトルを手に取った。
 肩からさげた、編みこみのトート・バッグに飲み物を押しこみながら、少女は駅前ロータリーへと続く、広い階段を降りる。仕事に向かうスーツ姿の会社員や、あるいは休みを満喫しに行く大きなリュックサックのおじさんおばさんが、ぱらぱら、階段を上がっていく。擦れ違いざま、ちらりとこちらを見る。なんですか、徹夜明けの女子高生がそんなに珍しいですか。
 こころのなかで強がってはみるが、彼女にとって、昨夜は寝具のない場所で明かしたはじめての夜で、日吉かのん、高校一年生の夏休みも半ばに差し掛かったころ、わたし、ひとつ、おとなの階段上っちゃいました。ってこれ、言葉にするとめっちゃ恥ずかしいね。
 空は薄い水色で、まだお日さまの姿は見えないけれど、もうじわじわ、猛暑が顔をのぞかせていて、空と同じ色の、デニム地のショートパンツをすっぽり隠すグレーのパーカー、前を開けようか考えて、でも汗くさかったらどうしよう、ちょっと戸惑って、止めた。
 地下道を抜けて、細い階段を上がると、バスのロータリー。お、わたし一番のり。時刻表を確認して、

あれ。

もう一度見る。それからバッグをがさがさ探して、スマートフォンを出して、見る。
え、まじで。
現在時刻は5時30分。
時刻表の一番上は、6時45分。
ええぇ、バス無いじゃん。

 駅からかのんの家まで、バスで25分ほど。たしか、8キロくらいって、お父さんが言ってた。8キロって、歩ける距離? 中学のマラソン大会はたしか3キロだったよね。え、歩ける? いや、えええ?
 
 昨日は、学校のそばの商店街の夏祭りだった。商店街、と言うと、ちゃっちく聞こえるかもしれないけれど、これがすごい賑やか。駅のまわりはみんな歩行者天国になって、人をかき分けながらメインストリートをはじからはじまで歩くだけでも、たっぷり30分はかかって、脇道にもたくさん屋台が出て、行き当たりばったりじゃ全部見て回れないくらい。




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