『我が愛しの姫君様』
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ひかり、という現象を色彩で表現するならば、灰色であろう、と僕は思う。ここでいうひかりとは、万物を視覚情報たらしめるひかりだ。すなわち、万物はひかりにより、その固有の色彩を、形状をさえ与えられる。万物は、世界は、ひかりにより立ち現れる。そのひかりは、純粋な、透明な、灰色であると、僕は思う。
だから、僕たちがいたのはひかりの中だ。どこまでもどこまでも透明な、灰色の中で、壁も床も扉も、まだかたち目覚めてはおらず、有るのはただ、満ちたひかりと、僕と、そして。
あのひとは、ひかりのなかにしゃがんでいる。真っ白い額にひかれた細い眉を少し寄せて、黒目がちな瞳を少し笑うように、あるいは、少し泣くように、細めて、僕を見ている。
僕は、何かをしなければいけない。あのひとのために、なにかを。横隔膜が機械仕掛けでのどに向け上昇し、心臓が圧縮される。何かをしなければ。
やがて、しかし、僕の焦燥のとおり、あのひとは小さくからだをふるわせる。紺のスカートからのぞく両膝が、ゆるやかに床に落ち、それから、あのひとは小さくうつむく。
僕には何もできなかった。世界に立った二人きりの、僕は、あのひとに、何もできなかった。圧縮された心臓が、胸を突き破り、流れる。
一瞬の熱のあとの、生ぬるい不快感。僕は、目を覚ました。視界に飛び込んだ窓の向こうは、まだ、果てしない夜だった。
「じゃあ、あと黒沢、お願いして良い?」
窓の外はすでにすっかり夜のとばりに包まれている。天井に張り付いた蛍光灯の品のない白い光が、やけにまぶしい。
時刻は間もなく、19時。部活の定期会議を終え、皆がかたかたと帰り支度を始める雑音の中に、部長の声が通りぬけた。
黒沢、と呼ばれた少女は、不愉快そうに目を見開いて、「えええ」と口だけ丸くしている。
「荷物運び付けるから。少年、行きなさい」
間髪いれず、部長。
少女はまだ「えええ」の口のまま、後ろの席に振り向いた。それから、
「よろしく、少年」
教壇におかれた、長い紙の筒だとか、大きな定規だとかの放り込まれた段ボール箱を指し、言った。
少年、と呼ばれたのは、高倉ゆうと。中学一年生。とにかく、肌が白い。親類のおばさんたちは、大福餅みたい、と言う。太ってはいないけれど、どちらかと言えば丸顔。坊ちゃん刈り、に近い髪は、やや茶色がかり、絹糸を思わせるほど、さらさらとなびく。角のない銀縁眼鏡の奥の大きな瞳も同じく茶色がかり、黒の詰襟に身を包んだ姿は、まず悪いことをしそうには見えない、と、これも親類のおばさん。
「あっ、はい、分かりました」
高倉少年は、コートのボタンを止めるのももどかしく、先輩のもとへ駆けた。それから、肩にかけた重い鞄が落ちないようにもそもそからだをよじりながら、段ボールを抱えた。
教室の明かりが消される。長い廊下の向こうに、仲間たちが歩いている。これを、二人きり、と言っていいだろうか。
「じゃあそれ、倉庫まで持ってくから」
少年が教室から出ると、一学年上の少女は、扉に鍵をかけながら、言った。
黒沢先輩は、天才じゃないかと思う。今まで僕が出会った誰よりも、頭が良い。頭の回転が本当に早いし、言葉に関して、ずば抜けたセンスを持っている。そこらの女子中学生とは、レベルが違い過ぎる。だからきっと、学校はつまらないだろう。
聞けば、先輩の国語の成績は、学年でも常にトップクラスだそうだ。学校なんてくだらない、勉強だってそれほどまじめにやってはいないだろう。数学だとか、歴史だとか、テスト前になると、よく他の部員に助けを求めている。授業なんてまともに受けていなくたって、少しの助言できっと十分テストはクリアできる。黒沢先輩は、天才だと思う。僕が今まで出会ったなかで、いちばん。
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