−2−
 校舎を出る。二つのかげが言葉なく校門とは反対の、暗い方へと向かう。風が、体内の温度を直接奪っているみたいに、冷たい。せめて熱をふり絞ろうとしてか、筋肉がおもわず、震える。
「ここ、部室棟。来るの初めて?」
 先を行く少女が、振り返らずに言った。
「あ、体育の授業とかで使ったことはあるんですけど、ええと、部室側ははじめてです」
 せっかく沈黙が破られたというのに、もっとスマートに答えられないのか。僕は、二度とくるはずのない、同じ場面をやり直す台詞を考えながら、先輩の後ろ姿をちらと見た。
 先輩は、小柄だ。おそらく学年で一番小さいかもしれない。制服からのぞく、首も、手も、脚も、針金のように細い。他の先輩が、冗談めかして、柔らかいセーターで隠された腰を抱いたりして、細ぉい、なんて笑っている。僕はひっそり、目だけで追った。
 今はコートにすっぽりつつまれた、先輩の腰。段ボール越しに、見つめる。僕に許された、たったひとつの自由であり、罪。見つめるだけ。見つめていたい。機械仕掛けの横隔膜が、きりきりと、上昇を始める。
 部室棟の半分は、運動部の連中が使う屋内練習場、もう半分は、文化部の部室で占められている。授業で何度か足を運んだことはあったけれど、部室側に入ったのは初めてだった。
 19時を回り、何人かでかたまって建物を出て行く生徒たちがいる。練習場側はすでに灯りが消え、黒い闇に沈んでいる。かすかに白い手すりだけが、骨格のように、目に焼きついた。
「こっちね」
 練習場を背にし、2か所、通路が伸びている。先輩は、奥側を左に曲がる。通路の両側には、あちこち錆の出たグレーの鉄の扉が、いくつも続いている。点々と灯された天井の蛍光灯が、扉の重さに負けそうになりながら、青白い光線を落としている。室内だというのに、しん、足の裏から冷気が上がってくる。
 こつ、こつ、音が過ぎていく。先輩、早足になっている。もしかして、怖いのだろうか。さもなくば、僕と一緒にいたくないか、たぶん、後者だろう。
「ここ、うちの倉庫」
 暗い闇を背にした、非常口のある建物の一番奥から、2つ手前。扉に掲げられた白いプレートに「文芸部」の文字がプリントされている。
 先輩が、ポケットから鍵を取り出す。がちゃん、金属音が、やけに響いた。ぎぎっ、ぎっ、先輩が扉を引くと、ざらついた音とともに扉が開く。それから、少し手探りをして、扉の左側の、電気のスイッチを入れた。
 わずかの間をおいて、蛍光灯が灯る。じぃっ、何だかわからないけれど、きっと蛍光灯から音がする。
 横幅、1メートル強だろうか。だが、その片面にはきっちりと、金属製の本棚が置かれていて、ひと一人、なんとか通れるほどの床しか残されていない。そしてその床にも、今抱えている段ボールと同種の、あるいはもっと古い、箱がいくつも無造作に埃をかぶって放置されている。
「その辺置いて」
 先輩が言う。
「はい!」
 僕は努めて明るく答えて、扉のわきに立つ先輩をすり抜け、室内に踏み込む。かび臭い、というか、埃臭い、か。
 段ボールを置き顔をあげる。本棚には小さな冊子だとか何だかわからない紙の束だとかが、ところにより窮屈に、ところによりすかすかに、つまりは乱雑に、放り込こまれている。
「良くできました。帰りましょう」
 先輩は、僕のほうは見ず、目線を落としたまま、抑揚のない声で言った。機械仕掛けの横隔膜がまた少し、上昇する。
 もう少しだけ、話がしたい。
 僕の小さな、けれど抑えがたい欲求は、言葉の選択という過程を飛び越え、口からあふれた。
「これ、文芸部の冊子とかですか?」
「たぶん。そうじゃない?」
 先輩は早口に答える。右手はもう電気のスイッチにかけられていて、早く出て、こちらを向いている顔だけが無言で言った。



←前 次→