『もう一歩、せいしゅん。』

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 そっか、そうだよね。これ、は終わりじゃなくて、これから、の、これ。

 やっと、春らしくなった。ぽかぽか降りてくる陽ざしに、ときおり舞い込む風がきもちいい。ぜっこうの旅行日より。ひなびた温泉街の人どおりもあまりない路地に、きらきら、少女たちの笑い声がひびく。
「ちょおいい、ちょっとそのまま、シャッターチャンスだから!」
 肩のしたで緩やかにウェーブを描く栗色の髪の少女が、一歩、二歩後ずさりしながら、カメラを構える。
「わかったァ、わかったから、もぉいいからァ!」
 先行する3人の少女のうちひとりが、振り返らずに声をあげる。それから、まん中の少女はさっと両脇のふたりの腕を取って、ぱたぱた、駆けだす。
「ちょ、待ってよォ!」
 カメラを抱えたまま、取り残されたひとりが走る。そして、笑い声。
 3月の午後、慣れ親しんだ制服を脱いだ彼女たちが、最後の思い出づくりに選んだ、二日間。
 「あ、ここここ!」
 スマートフォンを手にした少女が立ち止まる。
 駅から、20分ほど歩いただろうか。まだ冬枯れの、小高い山々のあいだを流れる川に沿って続く温泉街、お土産屋さんなんての立ち並ぶ駅前のにぎわいはもうずいぶん遠くなって、少女がスマートフォンの地図と見比べながら指差した建物は、いかにも老舗旅館、といった風のたたずまい。
 ひざの高さほどの苔むした大きな石、その間から伸びる、緑の葉の低い木を両脇に、石畳、そして、瓦屋根。入り口の脇の木製の看板に、毛筆で書かれた「岡田様ご一行」。
「池田ァ、これ撮るでしょ!」
 丸みを帯びた黒髪ショートの少女が、振り向いた。
「別にいいよ、岡ちん、スマホで撮れば?」
「はぁ? 撮らないの? ちょう記念になるじゃん」
口をとがらせる。
「じゃ、わたし撮る」
やや茶色がかった髪を後ろでひとつに束ねた、目の大きな少女がスマートフォンを取り出す。
「本名、それ後でアップしといて」
「じゃあ自分で撮れよ!」
「はい、中入るよ」
 ガラス張りの玄関の向こうで、にこにこしている着物姿の、たぶん女将さんにちらと目をやって、控え目に音頭を取る、明るい茶色の、ショートカットの少女、上村ゆず。
 それから、みんなぱらぱら、玄関をくぐる。白熱灯のあったかいひかりに、絨毯も、柱も、調度品も柔らかくしずむ。お待ちしておりました、こんにちはー、よろしくおねがいしまーす、池田! 写真あと! まず部屋行くから!
 ぎしぎし、黒光りする板張りの階段を上って、右の部屋。
 扉を開けると、真正面の大きな窓から、澄んだ午後のひかりがあふれていて、畳のにおい。
 わぁぁぁ!
 旅館でもホテルでも、部屋に入った瞬間って、やけにテンションが上がる。
 池田と岡田はぱっと荷物を放り出して、窓側へ走る。わたしと本名はまず荷物を置いて、上着を脱いだりして、それから、女将さんから食事やお風呂についての話を聞いたりして。
 お茶を淹れる、畳に足を投げ出す。見知らぬ場所。でも、なかよしの友達がいる。いつもとぜんぜん違うのに、いつも通りの、感じ。

「あぁぁ、ヨーロッパじゃないよねぇ」
 窓際の大きな椅子、ほら、なんか編んだ感じの、に深々と座って、岡田みどり、は言った。
「えええ、良いじゃん。私好きだけどな、こういうの」
お茶を飲みながら、本名さきこ。
「ていぅか見て、ちょう良くない? この写真」 カメラを見せながら近づいてくる、池田みらい。今日はずーっと、カメラ。
「おお、なんか雰囲気ある」
「でしょー? やっぱり最後の思い出旅行だもん、いい写真撮らなきゃ!」
「わざわざ買ったんだもんね、高そうなカメラ! いくらだっけ?」
「10万くらいかな」
「まじ!? それヨーロッパ行けたじゃん!」
ほんと、いつも通り。
「晩ごはん、7時だってさ、それまでどうする?」
わたしは口を開く。
「まずお風呂っしょ」
池田はがそごそ、荷物を開ける。
「明るいうちにお菓子とか買ってこない?」
「えー、お風呂はぁ?」
「お風呂入ったら外出るの嫌になっちゃうよ」
「だからさっき駅降りたとき買えば、って言ったのに!」
「だって荷物重かったんだもん」
まとまらないなぁ。
「みんなで行ってきて、私待ってるから」
「池田ぁ! またそうひとまかせにする!」
「みんなで買い物なんて、これが最後かもしれないからさ、一緒に行こう?」
 本名が言う。そうか、そうかも。
池田は口を尖らせながら、財布をズボンのポケットにねじ込んだ。



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