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「ぜんぜん、お腹壊してたとか、くだしてたとかじゃないんだよ! でも、出ちゃった」
ころん、って。
「お母さんがいてさー、ほんと恥ずかしかった。気づかれたらどうしようって。自分でもにおいとかすごい分かるんだよね。ぜったいくさいって。もう、あたま真っ白でトイレまで行って」
それで?
「そうっと下着脱いだら、いるわけよ、ころん、って」
ころん。
「涙止まんなくなっちゃって。泣きながらトイレに流して、ウオッシュレットやって。ずーっと泣きながら」
うん。
「おしり何回もペーパーで拭いてさー。下着は部屋で、雑誌破ってぐるぐるまきにして、ゴミ箱つっこんで」
うん。
「すごいパニくってるのに、なんか必死に隠す方法考えてる自分がさ、ちょっと面白くてさ。それだけ、覚えてるんだよね」
うん。
「娘がおもらしして帰ってきたら、お母さんびっくりするよね。なんか、バレなくてよかったなって」
彼女は、顔をあげない。胸の中が、すごくもやもやする。そうだ。
ぱんつを脱ぐ。丸めてポケットに入れる。ワンピースのすそを腰の上までまくりあげながら、新しいぱんつと、ショーパン。彼女には背を向けている。たぶん、おしりは見えてないはず。
それから、ワンピースを脱ぐ。濡れた下半分を内側にして、ぐるぐる畳んで、床に置いたら、Tシャツを出して、着る。
「ありがとう、ございました」
タンスを向いたまま、絞り出した。
「これは、こぼした麦茶を拭いたタオル。洗濯はよろしくね」
「大丈夫です。あの、」
「なに?」
「先生、手とか、洗ってって下さい。その、におっちゃうから」
「ありがと。香水あるから平気だけどね」
フワリ、香水のにおい。
「じゃあ、おばさんに終わりましたって、声かけてくるね。あやちゃんはここにいていいよ」
彼女は立ち上がる。筆記用具なんてを手早くバッグにしまって、部屋をでる。わたしはまだ、タンスを見つめている。洗濯、どうやってしよう。そんなことを考える。
ふいに、香水のにおい。
わたし、なにしてるんだ。部屋を飛び出す。玄関を目指す。
逆光じみたくらがりに、母が立っている。
「ちゃんとお礼言いなさいよ」
「先生は?」
「御手洗い」
「あ、あやちゃん、お疲れ様」
彼女が洗面所から出てくる。
「ありがとうございました、それで、次回は」
母がふかぶかとかと頭を下げている。
「あやちゃん、どうだった? わたしでいい?」
分かんない。まったく頭の整理ができない。
「来週でもいいわよ、びしびし鍛えてやって」
でも、言わなきゃいけないことがある。
「来週、お願いします」
「分かった、無理しないでね。それじゃあ、また来週。失礼します」
ぱたん、頭を下げて、彼女出て行く。
「良さそうな先生ね。ちょっと、香水の匂いがきついけれど」
そうだ、おしっこのにおい。両手、すごくくさいよ。あわてて、洗面台に飛び込む。石鹸をしゅぽしゅぽ出して、手を洗って、流して、それでもまだくさい気がして、もう一回、いや、二回かな。
部屋に戻る。母が、グラスを片付けに部屋に入っていた。息が止まった。
「やっぱり香水きついわよ、先生。今度言っておかなきゃ」
「別に、わたしは嫌いじゃないけど」
「ああ、これね。麦茶こぼしちゃったって」
タオルの山へ、いまいちばん見られてはまずいものへ、母が向かう。
「いいよ、わたし、洗うから」
「そう? 早く洗うのよ? ああぁ、わたしだめ、このにおい苦手。窓開けるわよ」
大げさに顔をしかめて、窓を全開にして、母は出て行く。
涼しい風はこれっぽっちも入ってこなくて、相変わらず熱気。おもらし、たぶん、ばれてないよね。
さんさんと落ちてくる、正午の陽ざし。わたしはばれずに洗濯をする方法を考えながら、なんだかちょっと楽しい気分になって、口の端をゆがめた。
先生に、お礼をしないといけない。新しいタオルは、ぜったい買って返したい。どんなタオルが良いだろうか。ふっくらした彼女の笑顔を思い出しながら、あやは、首をかしげた。鼻先に、香水のにおいがまだ留まっている気がした。
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