『夢見るころを過ぎても、まだ』

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 スマートフォンが、ちいさな羽虫のような耳障りな唸りをあげて、少年は鬱陶しそうに、ベッドから身を起こした。それから、画面に明滅するちょっと考えもしなかった名前に、マジで? つい口に出してから、通話を始めた。

「お久しぶりです、どうされたんですか? え、あぁ、大丈夫ですけれど。ええ? あ、はい、わかりました。13時に改札ですね? はい。いえいえ、ま、何かあったらメールで。はい、では、日曜日に」

 ぷつ、電話が切れるとスマートフォンの端をこつり、と額に当て、
「マジで?」
もう一度、つぶやく。

 日曜日の昼ともなれば、改札はひっきりなしに寄せたり引いたり人がやってきて、波のような、という例えはあながち間違っていないと、少年は思う。
 少年、年齢的にはもちろん少年であるけれど、流れて行く多くの人間よりもあたま半分ほど大きく、がっしり、ではないけれど、すらりとした長身に、大福の皮のように白い肌、染めたものではない、ぼかしを入れたような茶色い髪は、絹糸のように細く柔らかで、それにスマートな銀縁の眼鏡までかけているのだから、改札脇の太い柱にもたれている様は、作品ならば少年の愁い、青年の逞しさ、なんて題がつくかもしれない。
 高倉ゆうと、都内のそこそこの大学に通う、1年生。
 時刻は12時35分、約束の時間までは、まだ少しある。先輩はどこから、どうやって来るだろう。改札を抜けた先は駅ビルにつながっていて、クリスマス、の文字と色とがおどるアパレルのディスプレイなんてを背景に、カップルや、家族連れや、ひとりひとり見ていてはとてもきりがないくらいの人間が行きあっている。
 見つけられるだろうか。もう彼女とはずいぶん、会っていない。
 女子大生になっているはずの彼女の姿を思い浮かべてみるけれど、切りそろえられた前髪のおかっぱ頭と、透きとおるように白い肌の色と、紺の中学校の制服だけしか想像できなくて、少年はちょっと苦笑した。  夢にまで見た、初恋の女性。吐きそうなくらい好きだったけれど、結局思いを伝えることも、もちろん、お付き合いすることなんて、できなかった。
 12時53分、何度かの波が背後の改札から少年を追い越していく。それから逆に、改札を目指して何度目かの波がやってくる。先輩はいるだろうか、通り過ぎるひとりひとりの顔を見ることはできないから、なんとなく、あの日のままの面影を探す。

ゆらり、

 視界のどこかで、白いひかりのような刺激がまたたいた気がした。錯覚だろうか。
 そして、右手の奥の階段から途切れることなく上がってくる人々のなか、それはもしかしたら幽霊のように、白い肌の少女。
 やがて少女の姿は徐々に大きくなり、見覚えのある弓型の目、薄いさくらいろのくちびる、あの日のままの面影が目の前で止まり、日曜日の雑踏が、一瞬、消えた。
「やぁ」
 彼女はちょっとはにかむみたいに首をかしげ、控え目に右手を挙げた。
「お久しぶりです、黒沢先輩」
 少年はそれだけ答えると、自分の胸の下あたりで、やや上目づかいに投げかけられた彼女の視線から逃れられる場所を探した。



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