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「すずちゃん? いるの?」
ばくん。心臓が、破裂するかと思った。
うそでしょう? お母さん、帰ってたの?
「あ、うん、お帰り」
お願い、お願いだから、入ってこないで! 息が止まりそう。さっきおもらしした時より、ずっと早い、心臓。なにこれ、わたし死ぬかも。
さいわい、浴室の前をさっと母は横ぎっただけで、きっと、キッチンへ向かったのだろう。はぁぁぁぁ、ため息がまだ、震えている。
どうする。大丈夫、痕跡はすべて隠滅済。唯一の証拠のバケツもタオルも雑巾も、もちろん服も、わたしの手元にある。これさえ持ち出せれば、大丈夫、大丈夫。
雑巾とタオルを手早く洗って、バケツに放りこんで。お母さんが見てないときに、こっそり部屋に運べばいい。よし。
着替えて、リビングに戻る。バケツともろもろは、お風呂場に置きっぱなし。母がこれからお風呂場に行く展開は考えないことにする。母は、もうエプロンをしていて、食卓におかれた買い物を、冷蔵庫に入れていた。
「ただいま。シャワーなんて浴びてどうしたの、まさかまた、おもらしでもした?」
「はぁぁ? ばかじゃないの!? いいかげんにしてよ!」
「冗談よ。そんな言い方しなくてもいいじゃない」
「ふざけすぎ! 冗談にもほどがあるよ!」
「すぐむきになるんだから。笑って返せばいいじゃない。4月1日なんだし」
関係ないじゃん、って思って、そうか、今日は4月1日か、エイプリルフールだ。
母の脇をすりぬけて、冷蔵庫から麦茶の軽いペットボトルを取り出し、一気に飲み干す。
高校生なったら、おもらし遊びはやめます。
去年の秋だっけ、そう、自分で決めた。
さっき、さいこうの解放感とともにもらした言葉は、そうだ、エイプリルフールだ。
母に背を向けて、食卓の椅子に座ると、四本すずみは眼鏡を外して、両手を口元におしあてる。てのひらに、懐かしいにおいを感じた気がしたけれど、少女はしばらく、そのままでいた。すっかりかたむいた春の陽はまだ、やわらかだった。
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