『アンダー・ザ・ローズ』

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 大粒の雨が音を立てて、髪に、眼に、首に、腕に流れ込んで、もうぐっしょりと重くなったスカートが太腿にへばりついて、足を動かそうとするたび、いやらしく、肌のうえをすべる。
 きっといま、おなかのなかに抱えたずきずきと重い痛みから逃れたならば、このどしゃ降りにも負けない水音をさせるだろう。
 痛い、苦しい。でも、少女は歩みを止めなかった。止められなかった。使命感とプライドと、あと至極当たり前の、

この歳で、この場所で、おもらしなんて、ない。

それが、彼女の足の止まることを許さなかった。

 混じりけのない青の絵具のような空に、これまた描かれたようなよくあるかたちの白い雲がぽつりぽつり浮かんでいて、ちょ、まじ暑いんだけど、これ、ギャクタイだよ、ギャクタイ、許されると知っている悪い冗談を口々に交わしながら、少女たちは炎天と言って差し支えのない空の下を、一列に歩いている。
 5月の半ば、気の早い夏のやってきたある日、水色のセーラー襟のブラウスもまぶしい彼女たちは、地元でも名の知れた女子校の1年生。
 生徒間の親睦を深め、また乙女にふさわしい豊かな感受性をはぐくむ、そんなどこかで聞いた名目のもと毎年行われているという、ローズ・ガーデン鑑賞会。
 行ってみれば遠足なのだけど、どういうわけかこれが、徒歩で行く。
 学校からローズ・ガーデンまでは、小一時間ほどの道のりで、それも、三分の一は山道。なぜ私たちはこんな険しい道を歩かされるかと言うと、ええ、虐待されているのですわ、毎年ささやかれる悪い冗談は、あっという間に新入生にも広まる。
 それでも列を乱すことなく進む少女たちの行進は、実はちょっとした名物で、今年も来たか、せっかくの肌が真っ黒だよ、彼氏に怒られるんじゃないの、ときおりすれ違う地元の農家の方々が声をかけて、それもおなじみの光景だとか。
 そんな声もひと通り途切れて、列のいちばん後ろを歩く2人。正確には歩いているのはひとりで、もうひとりは車いすに揺られている。
「ちょっと揺れるけど、ごめんなさい」
 白い細い手の甲にしっとりと玉のような汗を浮かべ、少女がつぶやく。
「ありがと、大丈夫だからさぁ、あんまり気にしないでよ」
 少女はひざの上の松葉づえと、派手なロゴが装飾されたバッグを片手で押さえ、首を少し振り向かせてそれだけ言うと、また、うつむきがちに前をむいた。
 築地さん、岡本さん、大丈夫? 大変だったらいつでも言ってね、替わるから。気持ち悪くなったら、すぐに言うのよ。
 前を歩く先生が、ときおり振り向いて声をかける。
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
車いすを押す少女が、答える。やや高い、柔らかい声。
 築地のあ、クラス委員。うなじのあたりでひとつにまとめられた、肩には少し届かない黒髪は日の光をうけ、きらきらと輝いている。あらわにされた首すじは白く、細い。バレッタで止められた前髪のした、これまた白い額からつたう汗を、少女は車いすから手を離さず、首をすぼめて袖口で拭った。
 道の両側は桜だろうか、すっかり緑の葉を茂らせた街路樹が続いているけれど、それでも容赦ない日光を、二車線はじゅうぶんにあるアスファルトが遠慮なく跳ね返す。ときおりすごい速度で自動車が走っていく。追って、熱い風。
 頭上には空、街路樹の向こうは畑、ときどき平屋の、いかにも農家の家屋や、なんだかわからなけれど、鉄の柵で囲われて、トラックなんてが何台か止まっているプレハブがあって、その向こうはまだらの緑に覆われた、こだかい山。
 決して田舎では無いはずだけど、ビルや高層マンションの立ち並ぶ最寄りの駅から車で30分も走れば、すぐにこんな景色に出会える。少女がこの私立高校に進学を希望した理由のひとつは、実は、この景色が気に入ったから。お嬢様学校としての知名度や、シンプルながらも可愛らしい制服や、部活動が盛んな事を理由に志望する生徒が多いなかで、あまり大きな声では言えなかったけれど。



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