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ゆるゆると、上り坂が続く。
どうやら目的地は、この坂をのぼりきったあたりらしい。
「もうすぐだよォ、ほんとありがとね、築地さぁん」
車いすの少女が、また少し、振り向く。切れ長の目をさらに細めて、笑顔。
「岡本さんも、お疲れさま」
これでしばらく、わたしと離れられるよ、よかったでしょ? 言葉にならないけれど、いや、しないけれど、きっとわたしはそんな気持ち。
岡本じゅん。ベリーショートの黒髪、襟足から落ちる汗を、青いタオルで拭っている。
知ってる? 岡本さん、めちゃくちゃ足はやいんだって、全国レベルだって、知ってる! 中学生の日本記録更新したんでしょ、スポーツ推薦? あれ、特待生って言うんだっけ、かっこいいよねぇ!
入学したての頃、繰り返し耳にした。他のクラスの生徒はもちろん、先輩たちでさえ、こっそりと、あるいは堂々と、期待の新人をのぞきに訪れていた。それから少しして、陸上部の練習中、ねんざだか、骨折だかで、彼女の左足にぐるぐる、ギプスをされていて、だから、別に同情したわけではないけれど、わたし、クラス委員だから、彼女の車いすを押す役目を、買って出た。
学校から徒歩で小一時間、車なら15分くらいか。学校専用のグラウンド。陸上競技がすべて行える、テレビで見たような屋外競技場に野球場、テニスコート、それに、管理棟と食堂と温水プールと室内競技場を兼ねたビルみたいな建物があって、ローズ・ガーデンはこの広大な敷地のどこかにあるらしい。
一団が止まる。質素なコンクリートの門の前。門柱には金色で縁どられたプレートがくっついていて、黒地に、これまた金色で○○高等学校総合運動場、の文字。
門の右手は広い駐車場。これぜったい車で来られるじゃん。ていぅか、シャトルバス出てるんでしょ? うん、出てるよー。って岡本さん。わたしは帰宅部だから、よく知らない。
駐車場の奥が室内競技場、左手に降りるとテニスコートがあって、その奥がスタジアム、岡本さんがにこにこしながら話している。
まず、室内競技場に向かうらしい。そこでなんだか、この施設についての説明を受けるらしい。さすがにこの炎天、1時間も歩いて来て休憩なしはほんとにギャクタイだ。屋内での説明は、そのあたりへの配慮だろう。あと、お手洗い休憩。
形式通り、わたしはクラスの人数を確認して、先生に報告する。それから、
「お待たせ、岡本さん」
車いすに戻って、操作レバーに手をかける。
「大丈夫だよ、平らな所なら、自分で動けるから」
また彼女は少し振り向いて、言う。
「平気だよ、任せて」
何が平気だかは分からないけれど、わたしはブレーキを外し、車いすを押した。
だだっぴろい駐車場を抜けて、室内競技場ビル。1階は、受付兼談話スペース。談話スペースって言っても、学年全員が入れるくらい、広い。そして、フィットネスクラブみたい、きれい。確かに、運動を志す生徒が憧れる学校だけのことはある。わたしにはあまり関係ないけど。
ずいぶんな数の生徒が、お手洗いに行く。わたしはまだいいけど。その波がひと段落ついたころ、
「ごめん、トイレ行っていい?」
岡本さんが言う。わたしは、うん、って、車いすを押す。
お手洗いの前、ひとりで大丈夫? さすがにトイレは平気だよ、岡本さんは松葉づえを持って、立ち上がる。こつん、こつん、個室に向かう。
冷房が効いている。お金かかってるんだろうなぁ。トイレの前でひとりになった少女は、がそごそ、背中に乗せた黒のリュックサックを外して、水筒を取り出すと、両手で持って口に運んだ。
小一時間の道のり、少女は一度も水筒に口をつけていない。他の生徒たちはずいぶん飲みながら歩いていたけれど、わたしは、車いす押さなきゃいけないから。
こぷ、こぷ、こぷ、その分いま補給。1リットル入る水筒が軽くなるのが分かる。わたし、こんなにのど乾いてたんだ。スポーツドリンク、すごくおいしい。
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