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 お世辞ではなくて、本当においしかったんです。甘くて、いい匂いがして、やさしい味。
 彼女がにっこり笑う。目を細めると、ますます猫のような顔に見える。
 あの足音の正体は、きっと彼女でしょう。まさか、不法侵入者がいるなんて、わたしは想定もしていませんでしたから。お化けかと思った。本当に、怖かった。
 怖かった?
 そうだよ、怖かったよ。
 わたし、怖くて、怖くて。
 怖くて、お手洗いひとりで行けなくて。
 おもらししちゃった。
 無数の本の潜む暗がり。静寂の闇に沈む廊下。人外の影を浮かばせる非常灯。奈落へ続く階段。ひとりぼっちの自分。
 誰か、一緒にいてください。
 わたし、とっても、とっても。
 少女の目から、なみだが溢れた。
 彼女がまた、きゅう、眉間にしわを寄せてわたしを見ていて、ごめんなさい、なんとかそれだけ言ったけれど、なみだが止まらなくて。ひっく、ひっく。
 そうしたら、ぎゅ。彼女がいつの間にかわたしの前に座っていて、細い腕が、わたしのあたまをぎゅってしていて。あったかい。それに、すごくいいにおいで。
「怖かったぁ!」
 やがで、少女の嗚咽が止むのを待っていたように、洗濯機が、ぴい、止まった。

 翌日。
 わたしはどうしてもお礼がしたくて、放課後本の補修を終えると、うっかり鞄にしまってしまった彼女のタオルと(お借りした下着はお家を出るときにお返ししました。洗濯をしてからと思ったけれど、彼女が首を縦に振ってはくれなかったのです)、ちょうど家にあった未開封のクッキーを持って、彼女の家を目指しました。
 けれど、見つからなかったのです。夜と昼とでは、景色の見え方がずいぶん違いますし、それに昨夜のわたしは、濡れた靴や風通しのよいスカートのなかに気を取られて、正確に彼女の家までの道を記憶できてはいませんでした。
 彼女の名前や連絡先を聞かなかったことを、わたしは本当に後悔しました。
 ひょっとしたら、昨夜の出来事は夢だったのではないか。彼女は実は、この世ならざるものだったのではないか、そんなことまで考えてしまいました。
 ですが、確かにタオルはわたしの手にありますし、なにより、彼女からいただいたあたたかい心遣いは、わたしの胸に確かに残っています(彼女はわたしの靴を乾かすため、わたしがシャワーを浴びている間、新聞紙を詰めておいてくれたのです!)。
 もしかしたら、またいつか、学校であえるかもしれない。図書室にまたひとつ、楽しみが増えました。
 それから、これは本当に余談ですけれど、学校の七不思議、どうやら最近は、図書室には制服姿で黒縁めがねをかけた女の霊が出る、と言われているそうです。
 なんでも、20時の図書委員長、と、言うんですって!



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