『れもん・どりゐむGo!』

ー1ー
 青年が、彼女の家をはじめて訪ねたのは、気の早い落ち葉が舗道のどこかで踊り始めたころだった。
 青年のアルバイト先の小さな喫茶店、そこで同じくアルバイトをしている先輩の女性、先輩と言っても、彼とはふた回りちかく年が離れていて、彼女から、「子供の家庭教師をしてほしいんだけれど」、そんな話をされて、じゃあ、まぁ、できることだけ、曖昧な返事をして、引き受けた。
 決して小さな街ではなく、百貨店や飲み屋街もあるのだけれど、駅を挟んで反対側は、両手があればじゅうぶん数えられるくらいの商店街で、その先にあるマンション、その七階の一室。
 接客時と変わらない笑顔で迎えてくれた先輩に案内されて、入り口の左隣の部屋で青年を待っていたのは、想像していたよりもずっと小柄な少女だった。
 先輩は、こう言っては何だけれど、ぽっちゃり、温かな人柄がにじみ出るような容姿をしているが、その娘さんは、華奢、と言うか、小柄、ちんまり、とでも言おうか。
 あのお母さんの娘さんだから、と言っては失礼か、触れたら壊れてしまいそうな繊細な雰囲気ではなかったけれど、中学3年生、15歳の少女としたら、ずいぶん幼く、あどけなく見えた。
 娘さんの部屋だろう、ベッドとタンスと本棚は木目調、壁紙は白で、床はフローリング。ひとつある窓の方を向いて、小ぎれいな木の机と、そこだけポップな印象の、たぶんプラスチックか何かの椅子が置かれていて、もうひとつは、たぶん机とセットの、木製の椅子が隣にあった。
「あ、どうも、はじめまして。結城とおや、といいます」
青年が小さく頭を下げる。
「娘のみはるです。まぁ、どうぞよろしくお願いたします」
先輩の方が、照れたような、はにかむような笑顔を見せて紹介して、当の彼女は、なんだろう、まるで珍しい生き物でも見たような、きょとんとした顔をしている。
 どうぞ、よろしく、もう一度先輩は言って、部屋を出る。
「どうぞ、座りましょうか」
 青年が、きっと接客時もそうだろう、ひとつ笑顔を浮かべて、木の椅子を引いた。
「あっ、すいません、わたしの椅子、こっちなんです」
少女は胸の前で両手をぐー、に握ってちょっと慌てた様に首を振った。

 はじめて会った時ですか? それは緊張しましたよ! だってみはる、男の人とふたりきりなんてはじめてでしたもん。
 あ、別に男の人がにがて、とかじゃないですよ! 学校だって普通に話とかしてますし。
 でも、こんな近くで、ふたりっきり、とか、今までなかったから。やっぱり、その、からだの事があるから。そう言われてみれば、女の子の友達とも、ふたりっきり、ってあんまりなかったかなー。やっぱり、気づかれたらどうしようって、意識しちゃってる部分、あったかもしれません。
 第一印象ですか? もう覚えてないですよー。優しそうなひとでよかったなー、とか?
 ていぅか、彼の印象がどう、とかよりも、やっちゃったらどうしよう、って、そっちの方が気になっちゃって、とにかく、緊張してました。

 隣に座ると、耳の下で二つ結びにされた彼女の黒髪から、女の子のにおい、いや、若々しいにおいがした。15歳、8つも歳が離れていると、もはや別の世界の住人のような、ちょっと隔絶された雰囲気を感じてしまって、青年はちょっと、苦笑する。
 子供の家庭教師をしてほしい、そう言われてなんとなく想像した子供像は、もっと小学生くらいの小さい子で、中学、それも3年生と聞いて、実は内心どきっとしたのだけれど、隣にいる彼女はどちらかと言えば小学生に近いような印象で、少し、安心した。
「それじゃあ、前回の試験の復習からしましょうか」
 当たり障りのない話から切り出す。きっと、他愛のない世間話をしながら本題へ、という流れが良いのだろうけれど、年頃の女の子とする他愛のない世間話、というやつが、ちょっと思いつかなかった。彼女の部屋について、少し話そうかとも思ったけれど、じろじろ見ているようで、かえって印象が悪いのではないか、そんな風に思った。
 彼女は飲み込みも早く、さしたる問題もなく時間が流れている。そう言えば学校でこんなことがあってェ、あ、わたし、ここ分からなかったんですぅ、彼女の方から、いろいろな話をしてくれて、それは、青年の緊張も和らげた。
 気さくな子で良かった。かえって身構えていたのは自分の方だったと、青年は、今日何度目かの苦笑いをした。



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