ー7ー
 きっと、アリエは知らないだろう。
 レツィタティファは、机で本を読んでいた。アリエがひどくうなされていることに気が付いたけれど、起こすべきか迷って、ちらちら気にしながら、読書を続けた。
 アリエの押し殺したような、呻き。その直後だ。
 アリエのからだから、稲妻のように、まぶしいほどの赤いひかりが放たれた。
 そう、あの日、怪物が吹き飛ばされる直前に、レツィタティファの視界をよぎったのと同じ、赤いひかり。
 はっ、として立ち上がると、しかし、下腹部で猛烈な尿意がうごめいた。何とかトイレまで、そう思ったレツィタティファだっだが、2、3歩、よろよろと足を進めたところで、限界だった。あっという間に、服を突き抜け、足元に水たまりがひろがる。
 アリエには話していないけれど、これが初めてではない。あの日から、毎晩とは言わないけれど、たびたびレツィタティファは、眠る少女のからだから放たれる赤いひかりを目撃していた。
 アリエがベッドを濡らすことは、何もあの日からのことではなくで、レツィタティファはしばしば、恥ずかしがる彼女を押し切り、後始末を手伝ってきた。きっと、ここに来る前からそうだったのだろう。でなければ、あの分厚い座布団を、転入初日から持ってきたりはしないだろう。
 しかし、あの日を境に。彼女がおそらく無意識のうちに放つ赤いひかりと、残念ながら、学校内のこころない噂を証明する、異常な尿意。
 これは、いったいなんだ。いったい彼女は何者なのか。
 洗濯を終え、部屋に戻る。シーツは器用に、シャワー室に干す。アリエは自分のベッドで寝ると言ったけれど、レツィタティファは、シーツのない冷たいベッドで寝るのは良くないと、一緒に寝るよう、押し切った。
 彼女が何者なのかは分からない、正直、煩わしく思うこともある。けれど、彼女が自分の命を救ってくれたことは確かだ。
 しばらくして、すぅすぅと、傍らで寝息を立てる少女の、小さなあたまを撫でると、あの日、怪物と入れ替わるように傍らに現れた彼女と、夜毎うなされ悲鳴を上げる彼女と、他の生徒たちから避けられ、俯いて過ごす彼女とが、かわるがわる、まぶたをよぎった。

「さ、そろそろ午後の授業だ、行こうか、ありぃ」
「あ、はい。これ、持っていきますね」
 二つづつ重ねられた食器の乗るお盆をごとごと、持ち上げて少女は応える。
「ちゃんとトイレ、寄るんだよ?」
「あっ、は、はい」
 卓上の魔晶石が、授業の開始を告げる青い色に、光っていた。

「まず、間違いないでしょうね」
「ほんとうに、こんなことが」
 白い壁、アーチ形に組まれた天井、しかし窓には、臙脂色の光沢のある分厚いカーテンがかけられ、天井から下がる4つの四角錐の魔晶石の青白いひかりがなければ、完全に近い、暗闇。
 その青白い黎明のなかで、二つの影が、話をしている。
 どちらも、長いローブを、あたまから足元まで、すっぽりとかぶっている。
「確かに、前例を知りません。しかし、可能性の話をすれば、無ではない」
「無でない限り、限りなく無に近いとしても、可能性は、あると」
「彼女は、額に赤い紋章のようなひかりが輝くのを見たと言います。直後、目にもとまらぬ速さで、魔物を殴り飛ばした。人間わざではありませんよ」
「赤いひかりと、人間離れした動き、確かに、限りなく、そう、ではあると思いますが」
「信じられませんか?」
「そうですね、信じられない、というのが、本音です」
「あなたも、面白い子を連れてきたものだ」
「結果として、ですがね」
「確かめますか? 本当に、そうであるか」
「どうやって」
「考えはあります。あなたの了解さえもらえれば」
「あまり、手荒なことはしないでいただきたいものです」
「もちろん、危険な目には合わせませんよ。大切な生徒ですからね」
「危険と言えば、その後、魔物は」
「敷地内では確認されていません。おそらく、結界にもかからないほどの、低級な魔物が偶然迷い込んだのでしょう」
「偶然とはいえ、生徒の脅威であることに変わりはありませんよ」
「そうですね。当分、生徒たちには、森に近付かないよう、徹底いたしましょう」
「お願いします」
「では、彼女にはちょっと、試練をうけてもらいましょうか」
「くれぐれも、やりすぎることのないように」
 いや。
 本当に、彼女がそうだとすれば。
 男は、天井を仰いだ。
 彼女が本当にそうだとすれば、やがて彼女の暮らしは一変し、ことによると、生きていくことそのものが、限りなく難しいと感じられる時が、やってくるだろう。その時を思えば、多少の試練では、むしろ、やさしすぎるのかもしれない。
 エーゼルべの白い小さな花弁が、閉ざされた窓の向うを、幾片、風に流されていった。



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