ー7ー
まぶしい、赤い、ひかり。幾度となくレツィタティファが目にした、あのひかり。
それは、ほつれた前髪の、ほこりだらけの白い額に浮かぶ、紋章のような幾何学模様から放たれていることに、はじめて、気付いた。
ふわっ。細い両腕が、少女の体を抱きかかえ、水平に持ち上げる。
「とぉぉりやぁぁぁぁぁ!!」
それから、ひとひとり抱きかかえたまま、少女は、崖を駆け上った。
文字通り、駆け、上った。
土ぼこりをまき上げ、すぐにそれを追い抜き、少女は、垂直に近い崖を、両脚だけで、駆け上った。それはさながら、地上から空へと放たれる、赤い流星のようであった。
「うそでしょ!?」
切り立った崖を上りきり、まだ勢い余り、二人のからだは大きく、宙を舞う。眼前、はるか遠くに、夕焼けの最後の赤いひかりが横たわっている。眼下には、残火を浴び、燃えるような木々の陰影が、小さく無数に広がっている。そして、その先に、黒く、小さな建物の影。
「見えた! 学校! あそこ!」
生まれて初めて見る、上空からの景色。ほどなくして、落下。
「ひゃああああああ!」
悲鳴が、細く長い尾を引き、森の中へと消える。
落下の始まる、ほんのせつなの前、見たこともない光景が飛び込んだ瞬間、抱きかかえられた少女のからだは、まるでたましいを抜かれるような、浮遊と、脱力と、恍惚を感じた。
しょぱぱぱぱぱぱぱあっ。
赤いひかりの直撃を受けたせいか、それとも、落下の恐怖からか。悲鳴とともに少女の体内からあふれだしたしずくは、きっと日中ならば、輝く七色のひかりをまき散らしただろう。
ずざざあっ、枝葉を貫き、ふたりのからだが地に落ちる。しかし、落下の衝撃よりも、自分を抱きとめる腕のちからの方が、強いと思った。
なお、赤いひかりは消えず、少女は足を止めない。疾風のように、木々をかわし、跳び、走る、目を開けていられないほどの速度。空を裂く音さえ聞こえない。人間はこんな早さで走ることができるのか、これじゃ、まるで。息が止まる。
そして気づけば、そこは、暗やみに沈んだ、あの牧場と森の、あわい。
抱きかかえられたままだった少女は、足から下ろされ、立っていることが不思議なくらい、きっとほんのわずかな時間だったのだろうけれど、足が立つことを忘れてしまうには、じゅうぶんすぎるくらいの、出来ごと。
「ちぃ、わたし、やりました」
にこ、あの日と同じ笑顔。それから、ぺたん、崩れるように地に落ちる。
レツィタティファは、いちど、大きく息を吸った。それから腰をかがめ、ほとんど閉じかけた少女の目を、正面から見る。
「ありがとう、よくやったね、ありぃ」
そっと頬に触れてから、ぎゅうう、あたまを抱いた。
「初めて、ちぃに褒められました」
よしよし、そのまま、あたまを撫でる。額の赤い紋章はもう、影もかたちもない。
「あっ」
「どうしたの?」
「また、やっちゃいました」
さっき彼女が地に崩れると同時に、小さな、くぐもったせせらぎのような音が聞こえた。きっと彼女の座るあしの下には、水たまりが広がっているのだろう。言われなきゃ気づかないことにしたのに、ほんとに、この子は。
「わたしもさっき、ありぃの腕の中で、やっちゃった。ごめん」
「えへへ、あったかかったです」
「だ、だって、空飛ぶとか、マジ危ないし!」
ちょ、さらっと、すごく恥ずかしいこと言いましたぁ?
「わたしも、あんなに跳べるなんて、思いませんでした」
さも、驚いたよう。
この子は、本当に、いったい何者なんだろう。
けれど、ひとつ、確かになったことがある。
わたしは、ありぃが大好きだ。
さ、帰ろう、早くシャワー浴びて、着替えたい!
お腹も空きました!
それから、オーデル先生のところに殴りこむ、まじで。
あんまり手荒なことはしないでくださぁい!
少女たちは肩を寄せながら、明かりの揺れる校舎を目指した。
「これで、決まったな」
暗やみの閉ざされた部屋、その中央に置かれた透きとおった球体からひとすじのひかりが伸び、それは壁に、校舎を目指す少女たちの後ろ姿を映しだしていた。
ひとりがしゃべり始めると、ぷつり、少女たちの映像は消え、かわりに天井の魔晶石に、青白い光が灯る。二人の男の顔が、ぼんやり、浮かぶ。
「間違いない、彼女は、源動使だ」
ここで、少女の一部始終を見ていた金髪の男、オラトリウム・フルダは続けた。
「いまだ信じられないと言うのが、本当のところです」
もうひとりの男、銀髪碧眼の、カンタート・オーデル。
「まぁ、分かったところで、彼女が何者なのか、推測することしかできない」
「まさか、あちらの」
「それは考えづらい。あちらがみすみす、源動使を野に放つとは思えない」
「だとすれば、やはり」
「限りなく無に近い可能性だが、しかし、無でない以上、可能性は、ある」
カンタートはしばし黙り、息を吐いた。
「しかし、これからどうする。円卓に報告しますか?」
「いいえ、いま不用意に動くのは、あまり好ましくない。それに、万が一あちらに知られるようなことになれば、何かと厄介でしょう」
「しばらくは、様子を見る、と」
「そうですね。ただ、イルメナウには、伝えておきましょうか」
「分かりました」
これから、あなたが向き合わねばならない運命は、あまりに過酷なものかもしれない。あなたはそれに、耐えられるでしょうか、いや、耐えて欲しい。耐えて、下さい。
青い瞳を伏せたまま、男は、暗闇のなかに消える少女の後ろ姿を思い描き、祈った。
「あれが噂の子か。どうやら、本物みたいだな」
少し前。ちょうど空へ、赤い流星が駆けあがるのを、校舎の窓から見つめるもう一つの青い目が、あった。
「あのちから、ひょっとしたら」
風が吹いている。硝子窓がかたり、かたり、音を立てた。
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