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「着替え、持ってきておいて良かったです」
「いつも持ち歩いてるでしょ?」
レツィタティファの背後で、下着と靴下を替えながら、アリエは言う。人前でおしっこをするのは恥ずかしいのに、着替えは平気なのか。
「ほんとは、その、さっき茂みの中で、ちょっとちびっちゃって、替えようかともおもったんですけど、取っておいてよかったです」
そんな話はしなくていい、聞きながら、思う。
日は、ずいぶん西へ傾き、空はすっかり、オレンジ色である。崖のはるか上で雲が、炎のように揺らめきたちきれいだったけれど、レツィタティファはそれを、何か恐ろしい事の前触れのように、感じた。
どうする、どうしよう。
ここでじっとしていることが、最良の手段か。それとも、動けば道は開けるか。
ふるるっ。
下腹部が、控え目な訴えをする。わたしも、おしっこ、したいかも。
「ありぃ、わたしも、ちょっと、お花つみ」
さきほど、あれだけ言ってしまった手前、恥ずかしい、とは口にできない。ましてや、怖い、だなんて。
「あっ、すいません、うしろ、向いてますね」
少女は銀色の髪を揺らし、背中を向ける。同時に、レツィタティファは、崖から離れた茂みへと、踏み入った。
腰を下ろし、下着を下げる。ひやりとした、草の冷たさが伝わる。少し、ちからを入れる。しかし、出口はぴったりと、閉ざされたまま。
もう少し、ちからを入れる。おなかの中が、ぐう、押し下げられるような感覚。しかし、出口は開かない。
ふと、顔をあげる。日はすでに陰り、茂みの向こうに木々は、闇と見分けがつかぬほど、黒い。
聞こえるはずのない、獣の咆哮。風の音か。背筋を、冷たい震えが走る。息が苦しい。少女は立ち上がり、急いで下着をあげると、茂みから逃れる。
黄昏色の闇に、銀髪の少女を探し、早足で、近づく。友人の肌は、うす気味悪く白く、闇のなかに浮かび上がるように見える。素足を通り抜けていく風が、冷たい。
「暗くなっちゃった」
「そうですね、どうしましょうか」
何が、どうしましょうか、だ。この状況に置かれてからずっと考えているけれど、何もできないじゃないか。
「先生は、わたしたちが森にいることを知っていますから、きっと、助けに来てくれるんじゃないでしょうか」
来るなら、とっくに来てくれても、いいじゃないか。
「ずっと待ってろ、って言うの」
「いや、それは、その」
言葉の続きを待たずに、はあっ、むき出しの土の、崖の肌にもたれる。まだ少し、温もりを感じる。森はもう、見たくない。少女は、足元ばかり見る。
おなかの下、痺れるような、感覚。かなり、おしっこしたい。でも、出てくれない。
なんでわたしが、こんな目に合わなきゃいけないの。
おもらししたり、おねしょしたり、後始末したり、怪物に襲われて、森で迷って、なんでわたしが、こんな目に。
「ちぃちゃん?」
声だけが聞こえる。
「大丈夫です、きっとなんとかなりますよ」
もう、聞き飽きたよ。
「そんな顔しないで下さい、ちぃちゃん」
はぁ? それ、励ましてるつもり?
「きっと、なんとかなりますから」
「なんともならないじゃない! ほんと、ありぃと会ってから、ろくなことがない!」
ひゅうううぅ。
言ってしまった。言ってしまって、こんなこと、言うつもりじゃなかったのに。苦しさが押し寄せてきて、息を吐いて、それでもまだ苦しくて、もう何も吐きだすものがなくて、けれど、息が吸えなくて、やっぱり苦しくて、涙が、溢れた。
「ちぃちゃん!」
ぎゅうっ。
ぬくもりが、あたまを抱いた。
顔を上げると、白いブラウスの薄い胸が、顔に押し付けられている。ありぃ、あったかい。
「ちぃちゃんは、わたしが絶対に守ります」
抱きしめて、こつん、柔らかな頬と、かたい顎とが、額に押し当てられる。震えている、彼女も、泣いてる。
「わたし、ちぃちゃんのことが大好きです」
「わたしだって、ありぃのこと、大好きだよっ!」
大好きなのに、ひどいこと、言っちゃった。
腕の力をゆるめず、いや、もっと強く抱いて、少女は天を仰ぎ、叫んだ。
「どうか、ちぃを助けるちからを、どうか! あの時みたいに!」
嗚咽にも似た、叫び。
きゅいいいいいいん!
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