『わたしたちの居場所』

ー1ー
 カウンター、と呼ぶには狭すぎるか、積み上げられた本は座る彼女の背丈ほどもあり、それが5つ、6つ、崩れてこない方が不思議なくらい、はた目からはどう見ても無造作に、置かれている。
 下腹部は控え目な訴えをする。おそらく、そうお客さんは来ないだろう、今のうちに行くべきところへ行っておこうか。
 色のあせた、年代を感じさせる、と言えば聞こえがいいが、要は古くさいレジスターの置かれた、店の入り口を入ってすぐ左、顔を上げて、ここから見る店内も、流れ聞こえる表の雑踏も、もう、永遠ではない、やっぱりそんな思いがよぎって、カウンターの奥に半ば本に埋もれるようにちょこんと座る彼女、倉井れいな、は、ふ、と短いため息をついた。
 この店は、いつからここにあるのだろう。急行の止まらない駅だから、それほど大きいわけではないのだけれど、それでも駅を出たところから、およそ1キロメートルにわたり、小さな店が軒を連ねるこの商店街は、朝も夜も、行きかう人が絶えない。
 そんな商店街の、駅にほど近い小さな二階建ての一階、店先に並ぶ本棚にこそ気づいても、店の名前を知る人は少ないだろう、そんな、古本屋。
 倉井は店の、たったひとりのアルバイト店員。彼女以外の店員は、店主である、星てつお、だけ。
 よいしょ、彼女は小さな背中を伸ばして、椅子から降りる。効いているのかいないのか、5月の半ばだというに、まるでもう夏のような陽ざしに、店内のどこに設置されているのかも定かでない冷房は、すでに歯が立たず、彼女は無数の本から立ち上り満ちるかび臭いにおいの中に、自分の汗のにおいを感じた。
 ぴこぽこぴこん、ありふれた、けど、今ではあまり聞かない電子音。見れば、学生か、若者がひとり、店の入り口をくぐる。
 いらっしゃいませ、笑顔で声をかけると、倉井はぴょこぴょこと、定位置に戻る。
 小説と文庫本と、あとよく分からない学術書がほとんどの店内。普通の若者の好みそうな本は、まず、置いていない。
 けれど、彼女はこの店が好きだった。この街で生まれ育った彼女にとって、この商店街はまごうことなき、故郷の景色。そして、彼女が物心ついた時からずっとここにある古本屋も、彼女の原風景の大切なひとつ。
 もう、長くはないのだけれど。
 彼女はまたひとつ、つくまい、と思っても、ため息が、こぼれる。
 わたしが、星さんから店じまいを告げられたのは、ふた月前のことでした。星さんがお父さんから譲り受けた店、と聞いていましたが、実は星家のものではなく、そのさらに前の代の方が借りていたものだったそうで、星さんは顔すら知らなかったという「建物と土地の所有者」さんから、とつぜん賃借期間の終了を言い渡されたそうです。
 それが、半年前のこと。きっと星さんも、悩んでいたんだと思います。ご想像の通り、お店は常に自転車操業。よく、わたしのアルバイト代が出せるものだと、内心思っていました。小さいとはいえ、駅前の一等地。賃借契約の更新には、まぁちょっと、考えられないような額が提示されたそうです。星さんは詳しく話してはくれませんでしたが。
 いずれにせよ、店をたたもう、それが、星さんの決断でした。あれ以来星さんは、いろいろ忙しそうに走り回っていて、店内にいる時間は、めっきり減りました。
 学生は、本棚の細い隙間を、行ったり来たりしている。探し物でもあるのだろうか。まさか、この店で万引きするようなものもあるまい。倉井はときおり、物音を伺いながら、古い堅い木の椅子の上で、体を揺らした。
 15分程か、彼は店を出ていく。ぴこぽこぴこん、電子音が鳴る。ひゅうぅ、少し風が流れて、また、止まる。
 しばらくして、やっぱりお客さんは来なさそうで、よいしょ、彼女はまた立ち上がるために、腰をかがめた。
 とぅるるるるん、電話が鳴る。慌てて受話器を取る。はい、ありがとうございます、○○古書店です、なんて応じるのも、あと、何回か。
 ええ、あ、はい、いや、担当者はいま席を外しておりまして。いや、すいません、分かりかねます、はい、ではまた、折り返しお電話いたしましょうか、あ、はい、では、お電話のあったことだけ、お伝えいたします。



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