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そうして、しばらく歩いた後。
景色は変わり映えせず、荒涼とした大地がうねるように続くなか、ぽっこりと突き出した岩のようなそこに、大人ひとりかがんで入れるほどの入り口が、黒々と口を開けていた。
「これですね、洞窟って」
「真っ暗ですね」
「火は使うな、と言うことだったな」
腰をかがめて、中をのぞくルネ。緩やかに下降しながら、ずいぶんと深いようだ。
「さきほどいただいた魔晶石を使え、ということでしょうか」
「そうだね。準備はいいかい?」
「、はい」
少女たちは頷き、それぞれ握りこぶしほどの魔晶石を手に取った。
一歩、踏み込む。空気はさらに冷たく、湿り気すら感じる。二歩、三歩、進めば冷気と暗やみに包まれる。魔晶石をかざし、魔力を送り込む。白いひかりが、少女たちの周囲を照らす。少し進めば、思うよりもずっと広い。天井が見えない。
「地図に頼ろう。ずいぶん、入り組んでいそうだ」
「はい」
「わたし、明かり持ってます」
「ありがと、ありぃ」
ぴちょん、ぴちょん。水のしたたる音がどこかでする。ざ、ざ、ごつごつした足元を踏む音はおろか、自分たちの息づかいさえ、わずかな明かりに照らされる、黒い岩肌に跳ね返され、響く。
白い息が、魔晶石に照らされて、消える。寒い。アダマン布の制服でなければ、凍えて動けないかもしれない。
「ルネ先生、魔法も使えるんですか?」
列のまん中。背後からこうこうと灯されるひかりに、少女がはっと、振り返る。
「まぁ、ね」
しんがりのルネ。その手に握られた魔晶石の輝きは、先を行く二人よりも強いように思えた。
「すごいですね、剣も魔法も使えるなんて」
「まぁ、ね」
その声がどこかさびしそうに聞こえた理由を、アリエが知るのはもっとずっと後のこと。
「次、右です」
地図とにらめっこしながら、先頭のレツィタティファ。
「ずいぶん、奥まで来ましたね、大丈夫でしょうか」
吐息のような、少女の声。ひかりに包まれた三人のまわりだが、そこから一歩、二歩向こうは、全くの暗やみ。何か、恐ろしいものが飛び出してきそうな気さえする。
「まだ半分も来てないよ、気合い入れて」
歩みを止めず、先頭の少女。
「半分か、じゃあ、いまのうちかな」
不意に、ルネの声。
「すまない二人とも、すこしだけ、時間をもらえるかな」
「はい?」
少女らは足を止める。
「寒さのせいかな、ちょっと、用を足したい」
「あっ、はい!」
「少し、離れるけれど、いいかい?」
「はい!」
「あの、明かり、持っていましょうか」
アリエ。
「ありぃ! そっとしておいてあげたほうがいいよ!」
「そ、そうですか?」
「ありがとう、ひとりで大丈夫。では、ちょっと失礼」
2、3度周囲を照らしてから、ルネはすぅっと、左の後方へと歩んだ。
「ありぃ、後ろ向いててあげよ」
「はい」
ひかりの行く先に背を向け、少女二人。そして、沈黙。
「(ルネ様が、おしっこしてる、、、)」
だめ、と思いながらも、眼鏡の少女は息を殺さずにはいられない。どうして、こんな時ばかり、自分の拍動がやけに大きく、聞こえる。
「(いま、服を下げたくらいかな、、、いま、してる最中かな、、、音、聞こえ、、、)」
「ちぃ? どうしました?」
「わぁ! なんでもない! なんでもないよ!」
「すまない、待たせたね」
ふ、と明かりが近付き、大きな影。ルネが列の後ろに戻る。
「(ルネ様のおしっこ、聞きたかったよぉ!)」
「ちぃ? どうしました?」
「なんでもないー!」
右に、左に、道を誤らぬよう、注意深く、奥へ、奥へ。制服は適度なぬくもりを少女たちに与えていたが、露出する顔や膝下は凍りつくようで、耳なんて、千切れそう。
「ここ、だ」
少女が立ち止まる。
光に照らされた眼前には、黒く巨大な壁のように立ちふさがる、岩か、それとも。きらきらと、細かい粒がいびつに反射する様は、いままで見た洞窟の岩肌とは、明らかに異なる。
見れば、強い力で削り取ったような跡がいくつも、無数に浮かび上がる。足元には、その欠片か、ごつごつと黒い塊が散乱している。
「これを、持って帰ればいいんですね」
アリエはおそるおそる、そのひとかけを取り上げる。思うより軽くて、ぱさぱさした感じ。知らないにおいがする。あまり、好きではないにおい。
「ザーレ君、これがなんだか分かるかい?」
ルネが腕を組んだまま、尋ねた。
いつの間にかレツィタティファは、いつぞや薬草を採る時にも用いた、白い手袋を両手にして、黒く光るその壁をなぞった。
「においますね。火山性の鉱物の何かだとは思いますが」
「他に、気づくことは?」
壁のあちこちを見たり、指先に残った黒い粉を見たり、しばらくそうした後、
「ここだけ、乾いていますね。良く水分を吸収する性質があるんでしょうか。それと、おそらく、非常に燃えやすい」
指先を見つめながら、呟くように言う。
「すばらしい観察眼だ。さすが、主席」
「それほどでも」
年相応の、少女の笑顔。
「じゃあ、これを袋に詰めて持って帰れば、依頼は終わり! とっとと済ませて帰ろう!」
「そうだね。とりあえず、今はそれが良いだろう」
白い厚手の、それだけでもずっしりと重い袋に、足元に散らばった黒い石を入れる。三人でかわるがわる、拾っては、入れて。少し楽しくて、からだも温かくなるよう。
「よいしょっと、これくらいかな?」
袋はぱんぱん、ずいぶん重くなった。
「では、来た道を戻ろう」
「こんなにたくさん、持てるでしょうか?」
「弱音吐かない! ほら、持つよ! せーの!」
「手伝おうか?」
「いえ、先生は地図をお願いします。これは、わたしたちが!」
「疲れたら替わろう、遠慮なく言ってくれ」
「大丈夫です! 行くよ! ありぃ!」
「は、はい!」
少女らはふたりがかりで、袋を持ち上げると、よたよた、帰路についた。
それから、目的地に着くまでのおおよそ倍の時間をかけて、出口までたどり着いた。外界のひかりが見えた瞬間の安堵感。決して暖かくはないはずだけど、外に一歩踏み出すと、陽だまりのなかのようなぬくもり。
もう少しだよ! と、その前に、すいません、わたしも、その、お花つみ。
荷物を置き、列を離れるレツィタティファ。あぶない、ぎりぎりだった。
お待たせしました。あ、ありぃは、平気? えぇ!? 歩きながらしちゃったぁ!? まったくこの子は! ほら! 着替えるよ!
目の前で繰り広げられる二度目の光景を見つめるルネの表情を、どう形容したらいいだろう。
細い、山間の道を踏みしめ、三人は歩く。お土産、なんでしょう? もういいよお土産なんて、早く帰りたい! お、見えてきたよ。転送魔法を使った黒いローブの影法師は、少女たちが出発した時と何一つ変わらぬたたずまいで、本当に影のように、そこにいた。
お帰りなさいませ、思ったより早いお戻りでしたね、さすがは魔法学校の生徒さんだ。そんな、労いの言葉が聞こえたが、わたしたち、本当に無事に帰してもらえるんですよね? そう言ってやりたい気持ちを、レツィタティファはなんとか、飲み込んだ。
「ではこれより、お約束通り、お屋敷にご案内いたします」
「お屋敷?」
「ささやかですが、お食事の支度をさせていただきます。どうぞごゆっくり、疲れをお取りになってください」
促されるままに、魔法陣へと進む。今度はどこに連れていかれるんだ。眼鏡の少女の表情は硬いまま。
転送が始まる。ふうっ、めまいのような感覚。この感じ、やっぱり。
気づけば、眼前に巨大な『お屋敷』。
数百人が出入りする、魔法学校の校舎と同じくらいか、あるいは、それ以上か。まるで、宮殿だ。ふたりの少女は目を丸くし、金髪の少女は表情を変えずしかし、
「なるほどね。そういうことか」
昼下がりの陽ざしが、無数の窓に輝いている。だが、それらはみなぴたりと閉じられていて、この豪奢な建物は、何か得体の知れぬ沈黙をその中に閉じ込めている風でさえあった。
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