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 気付けば、同じようにほとんど黒ずんだシャツ姿の男が数人。いや見回せば、あちこちにもっと。
「やはり、ここで銃を」
 聞きなれた声にアリエが振り向く。いつの間にか背後に佇むルネ。
「住み込みで三食昼寝付き、やたらに割のいい仕事だと思って出稼ぎついでに来てみれば、来る日も来る日も銃の組み立て。さすがに、参ってたところでよ」
 別の、やや小柄で髭を蓄えた男性。
「来てみたって言ってもよ、俺たちゃここがどこかも知らねぇ。転送魔法でぽんと連れてこられたからな」
「わたしたちと一緒だね」
 小声で、レツィタティファ。
「しかしまぁ、こんなことになるとはなぁ。給料、もらえるかな」
「もらえなかったら、屋敷のなかの金目のもの、もらって帰ろうぜ」
 まったくだ、わはははは。ひとしきり笑う男たち。誰もみな憔悴しきった顔で、あちこちに傷ややけどをつくって、それでも朝日のなかで笑っている。アリエはまだ親友のかげに隠れたままだったけれど、気持ちは、軽かった。
「火薬の取扱いには細心の注意を払っていました。まさか、こんなことに」
 職人たちに混じり、おそらくきっと非常に光沢のあるものだったろう、けれど今は焼け焦げ、黒く、やはりあちこち穴のあいた、白のシャツと黒のズボン。やはり背の高い若い男性。その姿を見、いぶかしげに眉をひそめる職人もいる。
「この屋敷の管理を任されております、執事です。ご主人様には、事態の報告をしておりますので、おって皆さまにもお知らせができるかと思います」
 頭を下げる。
「もらうもの、もらえるんだろうな?」
「家に帰れんのか?」
 口々に、ややいらだちを含んで。
「まぁまぁ、もう止そうや。お互いせっかく助かった命じゃねぇか」
 それとこれとは、そう言いかけた職人もいたが、それ以上は言わなかった。
「それと、魔法学校の方々」
 やはりひとつ頭を下げ、
「このありさまです。今すぐ転送魔法でお送りするというのは、ちょっと、難しそうで」
 もう少し他に言うことがありそうな気もするけれど、レツィタティファは思ったが、乱れた髪やあちこち焼けた服を見れば、たぶん必死に消火とか救助とかに携わっていたんだろうから、分かりました、帰りはこちらで何とかします、大変ですね。とだけ、言って。
「皆さま、わずかではありますが、食事の支度ができました。どうぞ、お召し上がりを」
 腕まくりをしたり、スカートの裾をはしょったり、給仕さんもそれぞれ、動きやすい格好。きっと疲れているだろうに、笑顔を浮かべて。すごいなぁ、プロ根性かしら。
 動き始めた職人たちに続き、アリエたち。ちょうど屋敷の入り口であったあたりに、薙ぎ倒された木々を集めたか、急ごしらえの食卓が設けられ、燃え残ったものをかき集めたのだろうか、パンだとか、塩漬け肉だとか、オイル漬けの木の実なんてが、大きさや模様もそれぞれの皿に、それでも小ぎれいに盛られている。
 職人も、給仕も、調理人も、使用人も、ずいぶんな人数が、卓を囲み、パンを取り、木の実をかじり、これからどうする、何階のどこそこの部屋は使えそうだ、ご主人様からのご指示は、そんな声が飛び交って、そのうちの何人かは、魔法ってすごいですね、おかげで助かりました、もしかしてあの雨も魔法ですか? 何度も頭を下げたり、手を握ったりした。見知らぬ森、見知らぬ者同士、見慣れているのは朝の日のひかりだけ。ひかりは白く、清々しく、誰かれ問わず訪れる。アリエはこつん、親友の肩にもたれ、眩しさに目を閉じれば、きっと眠ってしまうだろう、もう立っているのだって、やっと。
「食事が終わったら、あちらの木陰で、ふたりで休むと良い」
 わたしは少し、帰り道の情報を集めてくるよ。
 ルねぇさん、わたしも!
 いや、ふたりとも、いまはゆっくり休んだ方がいい。大活躍だったからね。
「そうだ、ルねぇさん」
「なんだい?」
「わたしも、その、愛称で呼んでいただいても、構いませんか?」
「別に、良いけれど。何と呼べばいい?」
「クラスの子たちからは、レーツィ、とか」
「では、レーツィ。お疲れ様、おかげで助かったよ」
 そうそう、火を見た後はなんとか、と言うから、ふたりも、気をつけて。

 それから、しばらくの時間の前。
「なんじゃと? そんなばかなことがあるか!」
 中年の男は、たっぷりとついた頬の肉を振るわせ、顔を真っ赤にして叫んだ。
「おやおや、どうされましたかな。火薬庫に火でも付いたような声を出されて」
 大きな手摺の付いた椅子に座った、白いローブの老人。いくつもの、刻まれたように深いしわの、その奥の目から感情を伺うことはできない。
「夜が明けたらそちらに行く! それまで何とかせい!」
 まだ顔を真っ赤にして、荒い息をしたまま、中年の男は、大振りな宝石やらがいくつもはめ込まれた、決して実用的とは言い難い通信器を乱暴に置いた。それから、
「皮肉か? ハーズ、その通りだよ! ワシの別荘の火薬庫が爆発したらしい! 屋敷も銃の工房も、台無しじゃあ!」
 足音を立て、部屋のなかをあちらこちらしながら、吐き捨てる。
「機械はいくらでも作り直せばいよい。更なる改良を加えることもできる。そうじゃ、新型を試してみんか? 完成すれば、職人の手など借りず、それこそ子どもでも銃を組みたてられるぞ」
 その出で立ち、そのまま死人と言われても納得してしまうかもしれない老人のしわが動く。笑っているのか。
 部屋は、真夜中だというのに、真昼のように明るい。魔晶石ではない。天井から吊られたいくつものガラスの球体、その中には金属の細い線がくるくると渦を巻き納められていて、その渦が、白熱し光を上げている。
「火遊びが過ぎましたか? ドウラム殿」
 真昼のような眩しさの部屋。しかしその声の主の周囲だけ、まるで光が届かぬかのような、暗闇がうごめいている。それは、声の主が身にまとう、真夜中の海のおもてのような、漆黒のローブと、そのゆらぎ。
「コロス! いつからおった?」
「ずっと、おりましたが」
 コロス、と呼ばれた男。いや、男なのか、女なのか、声では分からない。全身を闇におおわれ、姿すら定かでなく、そして、その闇の間からわずかにのぞく顔には、笑っているとも、泣いているともつかぬ表情の、白い仮面。そう、あの魔法使い。件の屋敷の主は、この仮面の人物が半日ほど前、屋敷にいたことを、知らない。
「しかし、あの森の屋敷が燃えたとなると、一大事ではありませんか? 森ひとつ燃えれば、いくらパカション殿のお口添えがあるとはいえ、やつらが動きかねませんよ」
「それがな、何でも魔法学校の生徒が居合わせたそうでな。赤いひかりの凄まじい魔法で、森に火が燃え広がらぬようにしたんじゃと」
 男は目を見開き、それは傍目にずいぶん滑稽な顔をして、言った。
「赤いひかりの魔法、だと?」
 部屋の中央、大きな窓を背に、ちょうどハーズと呼ばれた老人と向かい合う位置に、灰色のなめし皮のローブが座っている。と言うのは、ローブは確かに椅子に座っている人間のかたちをしているのだが、そのローブをまとっているはずの人間の姿が見えない。まるで、透明な人間がすっぽりとローブだけかぶっているかのような。しかし、そのフードの下の空洞は、言葉を発する。
「ばかな、あの魔法の使い手が、いるというのか?」
 その言葉は声と言うより、空気が直接震えるような、音。
「イリーバの者、赤いひかり、まさか」
 まるで、ひとり言のように。
「ことによると、厄介なことになるかもしれん。私が出向くか」
 それから、
「クラヴィオ、クラヴィオ、来い」  やはり空気を震わす音。
「なんだよ?」
 明らかに不機嫌な声とともに、部屋の右の戸を開け現れたのは、顔こそ人間の若者と変わらないが、首から下、マントに包まれた胴体は、まさに異形。まるで通常の人間の倍はあろうか、大きく膨らんでいる。
「クラヴィオ、ドウラムの屋敷まですぐに私を連れていけ。そしてイリーバの生徒を見つけろ」
「はぁ? なんでそんなことしなきゃいけねぇんだよ」
 酔っているのか。ところどころろれつが回っていない。
「つべこべ言うな。お前の目と、背中のそれは飾りか?」
 ちっ、舌打ちが部屋に響く。
「わかったよ、行きゃあいいんだろ!」
 男の巨体はずかずかと部屋に入り、それからそのマントから伸びた腕が、物を言うローブを鷲掴みにした。その腕は、黒光りする大きなかぎ爪と、鋼のような剛毛を備えていた。
 草木も眠る真夜中、しかし、昼間のように明るいその異様な場所の、異様な男たちの影が、音もなく、止まることなく、うごめいてる。



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