『保健室の花子さん』
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四月が終わろうとしている。
なんだか暖かかったらしい冬のせいで、今年の桜はやけに早く開きはじめて、けれどそれから、入学に合わせて新しいコートを調達しなかったことが悔やまれるような、肌寒い日が続いて、桜の花は少し、また少しと咲くうちに、満開になる前に散り始めてしまったみたい、気付けばもう、みどりの葉っぱに覆われている。
中学受験というやつをくぐり抜け、袖を通したセーラー服のにおいにも慣れてきた須藤はるき、だけれど、もう4、5日すると、10連休が待っている。
うち、海外行くんだ、ほんとは面倒なんだけどぉ。一緒に遊園地いこ? え、カラオケでいいよ。そんな話に笑顔で頷きながら、わたし、どこもいかないし、予定ないし、誘われないし、窓の外の、ぞわぞわと伸びる若葉が見えて、目をそらす。
太陽はまぶしくて、ときどき息がつまりそうだ、とはるきは思う。だから、春はあまり好きでない。いっぺんに咲きはじめるやたら派手派手しい色の花、なま温いにおいのする葉っぱ、虫だって出てくる。なにか、地面の下から生焼けの幽霊たちがあふれ出てくるみたいで、そんなふうに思っているのはわたしだけかもしれないけれど、とにかく、春は、何か怖いんだ。
あぁ、そうそう! 昨日のテレビ見たァ? 見た見た! 超常現象の! なにあれ、やばいよねェ!
どくん。思わずはるきは振り向く。それからなるべく平静を装って、えー、遊園地って、この辺だとどこがいい? なんて、ひとつ前の話題をなんとか引っぱりだす。
やめて、わたし、怖い話ほんとに嫌いなの。
って。
言えたらいいんだけど。
親指をぎゅって握って。汗ばんでる。すぅ、はぁ、胸がつぶれそうで、息が早くなる。怖いんだ。でも、怖い話が嫌いとか、怖い話で本気で怖がってるとか、知られたら恥ずかしくて。会話が透明なガラスの向うで交わされている、わたしだけが違う世界にいる、この感じ、怖い、の一歩てまえ。すぅ、はぁ、深く息をしながら。聞かないように、なるべく、聞こえないように。
なのにさ。聞いちゃうんだ。聞いたらぜったい後悔する。聞かなきゃよかったって思う。胸がつぶれそうで、できるなら叫びたいみたいな、ぶるぶるからだが震えて、おしっこが出ちゃいそうな、あの、恐怖がやってきて、あぁ、聞かなきゃよかったって、しばらくは思うのに。
なのにさ。
そうそう、やばいっていえばさァ、先輩に聞いたんだけどォ、保健室に花子さんが出るんだってェ! なにそれ、トイレじゃないの? この学校は保健室なんだってェ! 保健室で女の子の泣き声が聞こえたら、絶対しゃべっちゃいけないんだってェ。
来た。
目の周りにぼんやり、灰色のどろどろしたカーテンがかかったみたくなって。
胸のなかがぎゅうう、しぼんでいくみたいな。
怖い。
怖い。
恐怖が。
来ちゃった。
「はるん、どうしたの? 顔色悪いよ」
そりゃあそうだろう。この胸のなかの恐怖をどう伝えていいのか分からないけれど、わたしはいま、怖くてしょうがない。
「だいじょうぶ、何ともないよ」
怖い話で怖くて仕方ないなんて、やっぱり言えない。
こうなったらどうしょうもなくて、何か別の気持ちが胸のなかに入って来るまで、じっと、恐怖と、戦い続けるしかない。手が小さく震えている。うつむいたままの首、落ちたままの視線が、上げられない。せめて、授業が始まってくれれば。
始業のチャイムが鳴る。先生が入ってくる。そう、先生。早く何か話してください。教室のざわめきがすぅっと引いて、はやく、先生。眠いでもつまんないでもめんどくさいでもなんでもいいから、別の気持ちを、胸に入れないと。
外は明るいのに、天井の蛍光灯のひかりがやけに青白く見えて、先生の顔も、みんなのかおも、青黒いカーテンをかぶったみたいに。
そうして、2時間目の授業が終わって、3時間目は体育で、まだ寒気がして、でも顔ばかりがぼうっと熱くて、のどが気持ち悪い。4時間目が始まる前に水をごくごく飲んで、それでも授業中、のどがひりひりして。
怖い、はもうどこかに行ってくれたみたいだけど。かわりに、気分が悪い、がやってきた。
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