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 寒気じゃなくて、はっきり、寒い。窓からは陽射しが押し寄せている。そのせいか、寒いくせに、顔が、首筋が、ぽっぽっ、熱い。黒板をノートに写す。何かしていれば忘れるだろうか。しゅしゅしゅ、シャーペンが紙をなぞる音。けれど長くは続かなくて、教科書をぺらぺらめくってみたり、先生の話をとりあえず聞いてみたり、でもやっぱり、寒い。気づけば両手で、自分の身体を抱きしめるみたいに、すりすり、ぎゅ。
「須藤、どうした? 気分悪いか?」
 は。先生に声をかけられた。
 え、あ、大丈夫です。
 わたし、そんなに挙動不審でした?
 何かこころのなかを覗かれたみたい。どきどきしてるとかじゃないんだけど、きっと私に集まってるだろう視線が、嫌だ。
「顔赤いぞ、保健室、行くか?」
 先生が続ける。
 だから大丈夫です。って、口では言ったんだけど。たぶん。
「先週、隣のクラスでインフルエンザ出てるからな。まだ油断はできないぞ。熱だけでも計ってこい」
 先生と目が合う。行け、っていう目。
 先生だけじゃない。たくさんの目が、わたしに集まってる。行くしかないの、これ。
 わたしは、その無言の圧力に抗うすべがなくて、いや、抗うのもめんどうで、かたん、席を立つ。もう、行くしかないやつじゃん。
 なるべく下を向いて、息をひそめて、教室の後ろから、廊下へ出た。
 頭がぼうっとする。自分がいま何をしているのか、ちょっとよく分からないみたいな感じ。流れていく景色はよく覚えていないのに、あ、廊下、こんなとこにひびが入ってるんだ。そんなところだけ、よく見えて。
 校舎の玄関。がらん。うちの中学、保健室が変なところにある。校舎を出て、グラウンドに添って体育館を通り過ぎた端っこ。なんて言うんだっけ、ほら、工事現場とかにあるみたいな建物、あれが、グラウンドの端、体育館の陰にある。こんなところにあるから、変な噂が立つんじゃないの。
 のどがひりひり、っていうか、いがいが。気持ち悪い。
 保健室の扉。日陰の暗いところ。大丈夫、大丈夫だって。ほら、灯りもついてるし。
 からら。
 扉を開ける。
 はじめての保健室。結構広い。それに明るい。職員室にあるみたいな机を4つくらいくっつけたやつが真ん中にあって、ノートパソコンとか、いろんな書類とか、造花の花瓶なんかが乗ってて。
「あら、どうしたの?」
 奥から、養護の先生。すごく体格がいい。ピンクのナース服、ちょっときつそう、なんて言ったら怒られるかな。
「すいません、気分が悪くて」
 嘘じゃない。ほんとに気分が悪い。
「そう、まず座って。熱だけ測っちゃおうか」
 先生は机のどこかから体温計を出してきて、手渡す。
 加湿器が静かな湯気を吐いている。わたしたちの他は誰もいないみたい。つい、変な視線を探して、カーテンの隙間とか、本の間とか。いるわけない、のに。
 体温計をはさむ。冷たい。息が苦しいわけじゃないけど、はぁ、はぁ、吐く息がやけに大きく聞こえる。先生はがさごそ、部屋の奥とこっちを行ったり来たり。
 ぴぴっ、ぴぴっ、しばらくして電子音がした。
「どれ、見せて」
 脇の下から出すと、そのまま手渡した。手渡した手で、シャツのボタンを留める。なんだか、肩がぐりぐり、重い感じ。
「あら、8度6分じゃない」
 先生は浅黒い顔をきゅっとしかめて、目を細めながら言った。
「これじゃしんどいわよ。帰ったほうがいいわ」
 体温計を拭いて、何やら紙を取り出して、
「学年とクラスと名前は?」
、紙丸を付けたり数字を書いたりしながら、先生。
「1年B組、須藤はるき、です」
「はい、分かりました。それじゃあ、担任の先生に連絡して、荷物持ってきてもらうから、すぐに帰りなさい。あんまり辛かったら、少し休んでく?」
「え、大丈夫です」
 なにせ、噂の保健室だ。できれば長居はしたくない。
「荷物、自分で取ってきますから」
、って立ち上がろうとして、ふうっ、目の前が急に暗くなって、無重力みたい。しゃがみこんでいたことに気づいたのは、それから0.5秒後くらい。
「大丈夫? しんどそうね。立てる? ちょっと休んで、様子見ましょうか」
 わたしは机につかまって立ち上がる。お腹のしたのほうに変な重さを感じる。先生が片腕を支えてくれて、そのまま、奥の白い布の仕切りの奥へ、連れていかれた。



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