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「あの、小出ありえ、と言います。中学2年生です」
「初めまして、小出さん。改めて、今日は来てくれてありがとうございます」
「あ、いいえ、その」
「改めて、小出さんのこと、聞かせてもらっていい?」
「あ。はい、なんでしょう」
「どうやって、ここのことを知ったの?」
「ええと、ちらしを見て」
「あぁ、もしかしておうち、クリニックの近く?」
「違うと、思います。たぶん、お母さんが、、、」
「ん。じゃあ。申し込んだのもお母さん?」
「あ、いえ、それは、わたしが」
「何か聞いてほしいことがあって来たんだね」
「はい」
「話せそう?」
「あ、その」
「何から話していいか、分からない感じかな?」
「あ、そ、そうです。でも、聞いてほしいです」
「うん、聞かせて」
「わたし、お手洗いが我慢できないんです」
「我慢できない? って言うと、昼間のお手洗い?」
「はい、そうです。その、、、この間も学校で、おもらし、しちゃって」
「わ、そうだったんだ! 大丈夫? もしかして学校、いま行けてない?」
「いえ、学校は行っています。たぶんおもらし、他の人には見られなかったので。でも、また学校でしちゃったら、って思うとすごく心配で」
「そうだよね。それは心配だよね。そっか、もう少し聞かせてもらってもいい?」
「あ、はい」
「学校以外でもおしっこ我慢できなくなっちゃうこと、ある?」
「はい。お手洗いのことは、いつも気になっています」
「家でも外出先でも、急におしっこしたくなっちゃって、我慢できない感じ?」
「そうです! 我慢できそう、って思うのに、急に、出ちゃうみたいな」
「そっか。それは気になっちゃうね。そうだ、夜とか、寝てる間はどう?」
「あ、その、おねしょのことですか?」
「うん、そう」
「おねしょもしちゃいます。だから夜はおむつ、使ってます」
「なるほど。昼間はおむつ、使ってないの?」
「え、あ、使ってないです。でも、使った方が良いのかなって、おもらしするたびに思います」
「昼間におむつ使うのは、やっぱり抵抗がある?」
「はい。もう赤ちゃんじゃないのに、って。でも、誰かの前でおもらししちゃうくらいなら、おむつした方がいいのかな、って迷って」
「悩んじゃうよね。ちょっとだけ、わたしの話、してもいい?」
「あ、え、はい」
「わたしも、おしっこが我慢できないんだ。実は今も、尿漏れ用パッド使ってるの。もちろん、夜はおむつだよ」
「えっ」
「さっき、スカート穿いたことない、っていったでしょ? 中学生の頃は、出かけるときもおむつしてたから、スカート穿けなかったの」
「学校もおむつだったんですか?」
「学校ではいちおう普通の下着穿いてたよ。でも、卒業式とか、社会科見学とかイベントの時は、おむつだった」
「そうだったんですか」
「わたしも、ラッキーだったのは、おむつしてるの、学校じゃばれなかったこと。一応、友だちの前でおもらししちゃったこともなかったし。おむつにしちゃったことはあったけどね」
「頑張って隠したんですか? 大変じゃなかったですか?」
「大変なこともあったよ、修学旅行とかさ。でもわたし、結構早い時期に自分はおしっこ我慢できないんだって気づいて、だから、どうしたらおもらししても服を濡らさないかとか、ずっとそっちを考えてて、むしろもうおむつしてるのは前提、みたいな感じだったんだよね」
「へぇ、、、」
「あっ、ちょっと引いちゃった?」
「あ、、、いえ、えっと、その。すごいなって。わたし、また学校でおもらししちゃったらどうしようって、とっても不安だったんですけど、その、結城さんは、そのずっと先を行っているみたいで、なんて言うか、すごいなって」
「小さい頃から、1日何回もおもらししてたからね。いかに掃除と洗濯を減らすか、そればっかり考えてたっていう」
「やっぱり、すごいです」
「ありがと。そしたら小出さん、今一番悩んでること、考えてることは何?」
「ええと、」
「いま言った、学校でおもらししちゃう不安?」
「それもあります。おもらししたらぜったい、いろいろ言われちゃうから」
「ん。いま、学校で小出さんのからだのこと、知ってる人はいる?」
「いないです。保健室の先生には、その、おもらししちゃったとき相談したことはあるんですけど、からだのこととかは話してないです」
「じゃあ、もちろんお友達とかにも話してないんだ」
「はい」
「わたしも、結局学校じゃ話せなかったな。やっぱりなんて言われるか分からないし、恥ずかしかったし。でも、今思うと、身近な誰かに打ち明けて、相談とかできたらよかったなって」
「気軽に話せる人がいるって、やっぱり、いいですよね」
「うん。今すぐにじゃなくていいから、だれか学校で、気軽に話せる人、できるといいね」
「はい。でもわたし、その、あんまり友だちつくるのとか、上手じゃなくて」
「友だちつくるの、ちょっと苦手なんだ。どの辺が難しい感じ?」
「ええと、話しかけるのが苦手です。その、変なこと言っちゃって、嫌な気持ちにさせちゃったらどうしよう、とか考えると、話しかけるのが、怖くて」
「なるほどね」
「だから、友だちも、あまりいなくて」
「そっかぁ。ええと、他にも、何か不安なこととかある?」
「不安っていうのかな、一番の悩んでいるのは、その、わたし、どうしておしっこ我慢できないんだろう、って」
「自分だけが、おしっこ我慢できないって」
「だって普通、おもらしとか、おねしょとか、しないじゃないですか。子どもじゃないのに」
「おしっこ我慢できない自分が嫌い?」
「はい。どうして、こんななんだろうって。考え出すとすごく悲しいし、辛いし、恥ずかしいし、、、もうどうしていいか分からなくて」
「分かるよ。わたしもそうだから。たくさん聞かせてくれてありがと」
「、、、あ、いえ、こちらこそ、ありがとうございます」
「もうひとつだけ、いい?」
「はい」
「小出さん、髪の毛きれいだよね」
「あ、え?」
「さらさらの黒髪、ぜったいきれいでしょ」
「あ、その、ありがとう、ございます」
「服のチョイスも着こなしもかわいいし、わたし、小出さんすっごいかわいいと思う」
「そんなこと、わ、わたしなんて」
「小出さんはかわいい。自信持って」
「あ、ありがとうございます」
「ほんと、そのスカートいいな。わたしも穿きたいくらい」
「いっしょに買いに行きますか?」
「わお、いいね。やっぱり小出さん、かわいい」
「結城さんの方が、かわいいです。目大きいし、胸だってわたしよりあるし」
「よく見てるね。一応、人妻ですから」
「え? そうなんですか?」
「あ、この話はここまで! 最後に、目標を決めよう?」
「目標?」
「まず、小出さんはがんばって、今日ここに来られた。一つ目の目標は達成。次の目標、ここで決めてみよう。次の一歩、どう踏み出そうか」
「お友達をつくりたいです」
「うん、すごくいいんじゃないかな」
「わたしのこと、打ち明けられるようなお友達ができたらいいなって思いました」
「うん。わたし応援してる。今度学校行ったら、話しかけられそう?」
「分からないです。でもやってみたいです」
「おはよう、って挨拶したり、それいいね、とか、すてきだねって、気づいた良いところを相手に伝えたりするだけでも、ぐっと距離が縮まるよ。試してみて」
「はい。ありがとうございます。それと、結城さん、一つ、いいですか?」
「なに?」
「また、その、おねしょのこととか、おむつのこととか、相談に乗ってもらってもいいですか?」
「もちろん! またここに来てもらってもいいし、メールとかでもいいよ」
「ありがとうございます! わたし、今日ここに来てとってもよかったです」
「わたしこそ、小出さんとおはなしができてよかった。これからも、よろしくね」
「こちらこそよろしくお願いします!」
「最後に思い切り背伸びしようか、んん、、、あっ!」
椅子から立ち上がって腕を伸ばしたまま、結城さんの目が泳いだ。
「どうしたんですか?」
「話に夢中で、その、わたし、やっちゃった、かな」
「え、あ!」
見れば、いま、彼女の座っていたパイプ椅子のうす緑の座面に、濡れて反射するひかり。床までは流れていないみたいだったけれど、きっと肉付きのよいジーンズの後ろ側は。
「しまったなぁ、今日は着替え、持ってこなかったなぁ」
「あの、わたし買ってきます! 少し待っていてください!」
「え。でも」
「困ったときはお互い様です! ええと、ジーンズと下着とウェットティッシュ! 10分で戻ります!」
そう言うと彼女は、わたしが止めるまもなく部屋を飛び出した。それこそ、鉄砲玉みたいな勢いで。
「意外と行動派だなぁ。小出さん、いいところをいっぱい持っていそう。きっといいお友達もできるんじゃないかな」
さすがに、このおしりのまま座ることはできないので、もう一度伸びをしてから、予備のパッドを確認するため、わたしはかばんのなかをのぞいた。
わたしは、結城みはると言います。夜尿症の専門として少し有名なクリニックで看護師をしています。わたしは、おしっこが我慢できません。看護師がこんなことを言ってしまうと身もふたもないようですが、いくつか治療を受けましたが、劇的な改善は見られませんでした。
医療にはひとを治す力があります。でも、たとえばひとつの言葉が、強い力を与えてくれることがあるように、人と人とがかかわることで生まれる力もあると感じています。だからわたしは、困っているひとが何らかの力を得、前向きになれる、そんなきっかけになりたいと思っています。そのひとつの取り組みが、ボランティアで行っている相談会です。おしっこが我慢できないわたしだから、おむつのわたしだから、できることがあるのではないか、と。
少しの勇気を出して、ここを訪れてくれたあなたが、前向きになれたのなら、もう少しの勇気を持つことができたなら、わたしも、とてもうれしいです。
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