思い出ばなしにつきあってくれてありがとう。みな、とても魅力的な女性ばかりだったろう?
 もう少しだけ、わたしのことを話してもいいかい? あまり面白い話ではないけれどね。
 わたし自身、とても多くの劣等感を抱えているんだ。部屋は片付けられないし、右と左が分からないし、小太りで禿げている。だから、と言ってしまうのは少し乱暴だけれど、同じように何かの「劣等感」を抱えているだろう女性に、魅力、いや、シンパシーと言うのかな、妙に惹かれるものを感じてしまうんだ。その「劣等感」の最たるものが、おもらし、おねしょ、いわゆる「恥ずかしい失敗」だよ。きっとわたしは、劣等感を抱えている相手を探し、同じく劣等感を抱えているわたしを「許して」ほしかったんじゃないかな。
 けれど、さまざまな出会いを通じ気がついた。彼女たちは皆、それぞれ自分自身の「できないところ」と向き合い、乗り越えようとしている。その姿、その姿勢、その心のほうが「劣等感」なんてよりよほど魅力的だ。わたしも、劣等感に甘えているのではなく、向き合って、前に進みたい。そう、強く思い、同時に「わたしも誰かを励ましたい」と願うようになった。
 滑稽な話だろう? わたしは、女性のおねしょやおもらしに興奮する。そのわたしが、「おもらしやおねしょを克服できるように励ましたい」と言っている。まるで、食べ物を腐らせる微生物が「おいしくて新鮮な食べ物を守りたい」と言っているようなものだ。受けいれられるはずなんてない、分かっている。それで大好きな笑顔をいくつ、くもらせてしまったことか。こころから謝りたい気持ちでいっぱいだ。だけれど、信じてほしい、あなたを励ましたい、あなたの力になりたい、その気持ちに、嘘はなかったと。
 いまはとても遠くにいる彼女たちに、わたしの大切な「かけら」たちに、許してくれとは言えない、だがどうか、この謝罪が、届くように。そして、いつまでも力強く、羽ばたいていてくれるように。
 もう、お終いにしよう。ずっと、わたしの胸の中だけにしまっていた思い出を話すことができて、いま、とても良い気分だ。聞いてくれてありがとう。そろそろ、あの子が帰ってくる頃だ。かわいい子だよ。ことし14だが、今朝もシーツを、おっと、聞かなかったことにしておくれ。
 では、またいつか。



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