『わたしのこと・ここのこと』

 わたし、キョウイチロウのことについてすこし。
 お読みになる方には、不愉快なお気持ちになる表現があるかもしれません。どうか、ご容赦くださいませ。



 ものごころついたときには、おもらしに対して並々ならぬ興味を持っていることに気が付いていました。
 小学校低学年のころ、だれそれ君が学校がえりにおもらししちゃったんだって、なんて話が聞こえれば、耳をそばだて話の内容を聞かずにはいられませんでしたし、少し仲の良くなった友人には、おもらししたことある? おねしょいつまでしてた? なんてことを尋ねずにはいられなかったのです。
 とにかく、ひとのおもらしについて知りたい、おもらしの話をしたい、そんな欲求が、こどもごごろに渦まいていました。
 なぜ、おもらしに強い興味を持つようになったのか、いまさら分析しても大した意味はないのでしょうけれど、幼児のころ、保育園でおむつはずしのための、強引なトイレットトレーニングを受けさせられた、という話を親から聞いたことがあります。もしかしたら、そのあたりに一因があるのかもしれません。
 とは言え、保育園ころのの記憶は、とくにおもらしについてはほとんど残っていないのですが、ひとつ挙げるとすれば、おひる寝のときに、便をもらしたことがありました。
 ホールのような場所で、複数の組・学級の子どもたちが集まっておひる寝をするのですが、たしか、「ふとんのなかに入ったら、しゃべらないこと」のような、決まりがあったんですね。わたしはふとんにもぐりこんだころから、強い便意を感じていたように思います。
 でも、いましゃべったら怒られる。先生に言い出せずにいるうち、もらしてしまいました。
 便と一緒におしっこも出てしまって、うつぶせのまま、からだをくの字にしてふとんのなかをのぞき、パジャマのまたのところから滴るしずくを見つめていたのを、ぼんやりと覚えています。
 やがて、においで先生がたも気付いたのでしょう。
 わたしはシャワー室へ連れて行かれ、からだを洗われました。友達たちはもう、起き始めていたように記憶しています。見られた、恥ずかしい、そんな思いがあります。
 「○○君がスイヨウベンを漏らしました」、他の先生に伝えたのか、あるいは親に連絡したのか、その言葉が、強く耳に残っていました。たぶん、スイヨウベンの意味が分からなかったからでしょう(笑)。
 小学校に入ってからは、ほんとうのおもらしはそれほどしなかったように記憶しています。
 覚えているのは、1年生のとき、放課後、友人の家に遊びに行って、なぜかわたしは一人で、えんえん魚釣りゲーム(台が回って、プラスチックの魚がぱくぱくする、あれ)に興じていたのです。尿意は感じていたんでしょうけれど、夢中になりすぎて、気付いたときには、座ったまま水たまりを広げていました。
 友人のおばあちゃんかだれかが、後始末をしてくれたように思います。
 やがて父が迎えに来て、いっしょに帰る途中、なんとおもらしを告げれば良いか、あたまを悩ませた気がします。
 ほんとうのおもらしはそれくらいですが、小学校も高学年になってくると、おもらしを知りたい、から、おもらしをしたい、に欲求が変化し始めていました。
 親のいない昼下がりなど、庭の屋外用の椅子で、使い古しのズボンをはいて、おもらし遊びに浸りました。
 具体的なシチュエーションなどを思い浮かべていたかは定かではないのですが、なにか我慢できない事情があって、椅子に座ったまましてしまう、そんなおもらしが好きだったような気がします。
 汚れたズボンや下着は、そのまま庭に捨てていました。穴を掘って埋めるんです(笑)。自分で洗濯する、なんて発想は当時はなかったですからね。
 いまはどうなっているんだろう。


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