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午後の日差しが、じわじわと照りつける。軽自動車のなかは、黒のスーツも手伝って、暑さにへばりつかれているみたい。寝る時も靴下が手放せないほど冷え性のみずのは、エアコンがあまり好きではなかったけれど、この暑さではさすがに耐えられない。額と、腋の下の汗を気にしながら、車のエアコンを操作する。それから途中、車をとめて自動販売機でミネラルウォーターを買う。
訪ね先、世間話をして、相手の様子を聞いて、それから自社の売り込みをする。いつものこと。だけど今日は、言葉が上滑りしているような気がする。わたし、なに言ってるんだろう。相手の笑顔が嘘くさく見える。きっと、わたしの笑顔はもっと、嘘っぽい。なにこの感じ、出かける前に、あんなこと言われたから。
予定通り、外回りをこなす。最後に訪ねたところは、もうすっかりお得意様だ。
みずのの顔を見ると、すぐに応接室へ通してくれて、お疲れ様、暑かったろう、なんて、アイスコーヒーまで用意してくれた。
顔なじみというのは安心する。みずのは、会社のこと、営業のこと、これからの方針だとかを、溢れるように話した。お相手は、笑顔で話を聞いてくれた。
だからついつい、話過ぎてしまった。ご挨拶をして外に出たとき、すっかり暗いのに少し驚いた。すぐに車に飛び乗って、エンジンをかける。さ、早く帰ろう。会社までは車を飛ばして、20分はかからない。
ちく。
そうだ。おしっこ行きたかったんだっけ。シートベルトを締めるとき、下腹部に鈍い重さを感じた。
まぁ、いいや。会社に戻ってから。
車は、小さな商店街の一角にある雑居ビルの駐車場から、住宅街を抜ける。
人も車も少ない。高い影のような街路樹が、照らされては消える。次の信号を左折、大通りに出ようとして、あれ。
普段ならスムーズに左折できるはずの信号の、ずいぶん手前まで車が続いている。
そう言えばこんな時刻、走ったことなかったっけ。夕方を過ぎれば渋滞がひどくなるのは、どこも一緒。ゆっくりブレーキを踏む。しかたない。
信号が青になる。進まない。進まない、と思っているうちに、もう赤になる。少し車が動く。右側、直進の車が連なる。青になる、進まない。これ、退社時間過ぎちゃったら、ちゃんと残業代出るんでしょうね。
何度目かの赤信号、前の車はあと2台。次で曲がれるかな。でもこれ、曲がっても混んでるんだよね。
ちくん。
下腹部が重みを増したような気がする。フットレストに置かれた左足が、気がつくと、とんとんとん、リズムを刻んでいる。
昼休みの後、会社を出る前にお手洗いによってから、この時間まで一度も行っていない。汗の分を引いても、500ccのペットボトル1本と、アイスコーヒーは、確実に体内に留まっている。
向うをでる前に、お手洗い寄ってくれば良かったか。あまりきれいではない雑居ビルのトイレを敬遠したことを少し後悔したけれど、あと15分もすれば会社じゃないか、どうなるわけでもない。
信号が青に変わる。ウインカーを出して、パーキングブレーキをはずして、アクセルを踏む。交差点に差し掛かって、うわ、マジ? 左折先、なだらかな下り坂の先にある大通りは、ヘッドライトとテールライトのモザイク模様みたい、すきまなく車が連なっている。
みずのはとっさにウインカーを消し、アクセルを踏み込む。直進します。
エンジン音が高くなる。信号を越えると、また、人も車もまばらになる。確か、こっちの道も行けたはず。ずいぶん前、上司と一度と通ったことがある。
先程までの進み方がうそみたいに、車は加速を続ける。ちょっと遠回りだけど、さっきの渋滞にはまるよりははるかにマシ。ぽつりぽつり、明かりがついているスナックや、小さなスーパーなんてを通り過ぎて、あ、そうだ、夕飯、なんにしようかな。
長い並木道を過ぎて、T時路にぶつかる。見覚えがある。ここ、左折。
左折して、うそ。ゆるく右に回る下り坂。テレビドラマのワンシーンみたいに、赤い光がどこまでも、道なりに連なっている。ちょっと、冗談やめてよ。ゆっくりまた、ブレーキを踏む。
大きなトラックの後ろにつく。トラックの後ろきらい。信号見えないし。それに、排ガスくさいし。てゆうか、エアコンつけっぱなしじゃん。彼女は不機嫌に、左手でエアコンのスイッチを切った。ごお、ひとつ音がしてうなりが消えると、低いエンジン音が耳につく。フロントガラスのむこうに伸びる赤いテールライトの列がしばらく動きそうにないのを確認して、もうひとつ、息を吐く。
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