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−３−
車はいっこうに進まない。ときどき、歩行者だか自転車だか、隣を通り過ぎて行く。
いいなぁ、わたしも降りちゃおうかなぁ。
どうせ誰にも聞こえないでしょ、みずのは、わざと声に出して、言った。
ちくん、ちくん。
ときおり、尿意の高まりがやってくる。
これちょっと、我慢できなかったらどうしよう。
みずのはまた口に出してみて、今度はさすがに恥ずかしくなった。反対車線は、ゆっくりとだが流れている。もぅ。気持のやり場がなくて、深いため息になる。
右足はブレーキを踏んずけたまま、膝をすり合わせるような動き。さっぱり動かない車のなかで、からだはさっきから小さな前後運動を始めている。
こまったな、すごいおしっこしたいんだけど。
口に出そうとして、やめた。言ったらよけい意識しちゃいそうだから。
細くてごわごわした、毛の束みたいなものが、ちくちく、ちくちく、臓器に触れている感じの気持ち悪さ。ええと、この道、ずっとまっすぐでいいはずだけど、渋滞どこまで続いてるんだろ。いつものコースを使っていれば、もっと早く帰れたかな。
トラックが少し進む。ブレーキをゆるめる。車が前進するときの、きっとふだんなら気付かない振動が、膀胱を押しつける。やだ、ほんとにまずいかも。半ば無意識にか、左手でスカートの上から股をおさえる。じっとりと、布地が汗ばんでいる気がする。今できる最良のことは、一刻も早くトイレに行くこと。そのため、何ができる？
段取り８割。誰から言われたんだっけ。みずのは営業に出るとき、訪問する道順を前もって予習する。どうまわれば効率が良いか、どこが一方通行か、どこに駐車できるか。訪問先で話すことも、ほとんど準備している。話の進め方、順番、内容。だから、相手から予想外の質問が出た時は、うまく答えられないことがある。そんなときの、知っている知識ばかりを繰り返し話して切り抜けようとする自分がいる。知識が足りないせいだ。もっと、知識を増やして、準備をして、上手に説明ができるようになりたい。そうすれば、売り上げにつながる。
ちゃんと説明すれば、きっと、相手に伝わる。
すみません、おしっこ我慢できないんです、道を開けてください。
言えたら、どんなに楽だろう。
右手をぎゅっと、スカートの上におしやる。きっとしわだらけだな。明日、お休みだから、クリーニング出さなきゃ。もうずっと、筋肉を緊張させていなければ、尿意に抗えない。でも、手で押さえると、少し楽になる気がする。腰はもうさっきから、波うつように前後している。じっとしていられない。
ゆっくり、ゆっくり、だけど、確実に車は進んでいる。もうすぐ信号があって、少し走ると、もうひとつ信号があって、あ、そうか！
みずのの頭の中の地図がつながった。二つ目の信号を越えた先の大きな通り、最初に出ようとした大通りと同じ道だ。そうだ、やたら混むことがあるって、先輩が言っていた。
ってことは、二つ目の信号を越えれば、その先は空いてるよね。再度、脳内地図をフルスピードでたどる。コンビニ、あるじゃん。
よし、あとひと頑張り。ハンドルを握り直す。てのひらの汗がそのあいだで蠢くような、いやな感じ。大丈夫。大丈夫だから。
ひとつ目の信号を越えると、またゆるい右カーブ。ラッキー、右折車なし。
次の信号までは、５０メートル、大丈夫、これさえ乗り切れば、そこから先は、コンビニまでたぶん５分。
だんだん、大通りが近付く。この諸悪の根源！ お前のせいでどれだけ苦労したと思ってるんだ！ 前を走っているトラックが、鈍い音を立てて直進する、ほら、あの映画で、海が割れて人が通るやつ、あの心境だ。よし、どけ！ わたしも通る！
さぁ、あとは一本道。渋滞を抜けたトラックは黒煙を吐き、速度をあげた。みずのも続けて、アクセルを踏み込む。コンビニまで３キロくらいか、決して近いわけではない。でも、この速度なら。
って、あれ。
トラックのブレーキランプが灯り、徐々に後ろ姿が大きくなる。みずのもブレーキを踏む。車が止まると、ぞくん、忘れかけていた痛みが押し寄せる。ブレーキは踏んだまま、からだを前に倒す。右手で、強くおしっこの出口を押さえる。太腿に挟まれた指、体内の熱が直接伝わるみたいに、熱い。
信号だっけ。もぉ、ほんと早くしてよ。緩い上り坂。下りよりも、膀胱が圧迫される気がする。どうしてこの町、こんなに山坂が多いの。
トラックがゆっくり動きだす。ブレーキをゆるめると同時に、アクセルを踏み込む。前進する。坂を登りきる。
ちょっと、嘘って言って。
下り坂。トラックの先。さっき嫌ってほど見た、赤いテールランプの列。デジャヴじゃないよね。むしろ、デジャヴであってほしい。
こんなとこで混んでるなんて、聞いてないよ。
これ、ほんとに間にあうのかな。
間にあわないって、どういうこと。
おしっこ、漏れちゃう。
漏れちゃうよぉ。
声に出して、涙声で、自分でも驚いた。会社の車。車のシートって洗えるんだっけ。クッションとかに染み込んじゃったら、ぜったい乾かないでしょ。においとかどうしよう。スーツはクリーニングに出す前提。でもその前に水で洗って。てぃうか、まずどうやって家帰るの、おもらししたスーツで。
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