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 悪い方向に考えない、いま一番考えなきゃいけないことは、どうすればコンビニまで我慢できるか。ブレーキを踏みしめたまま、両手でスカートを大腿の半ばあたりまでまくりあげて、下着の上から直接右手で押さえる。熱と脂の交ったような、濃いにおいがする。
 大丈夫、動いてる、進んでるから。もうすぐだから、もうすぐ。
トイレに行ける、その期待と比例するように、尿意が膨れ上がる。細い細い無数の糸が膀胱に巻きついていて、それがでたらめに縛り付けてくるみたいで、でもそれがあるとき、ぎゅうって、いっせいに絞め上げて、あっ。
 ひと滴、体内から熱が押し出される。まだ指先には感じられないけれど、もしかしたらずっと股間に押し当てられていた指先のほうが、熱に慣れてしまっているのかもしれない。
 もう運転席で飛び跳ねるみたいに、からだをゆすりながら、ブレーキをゆるめる、アクセルを踏む、アクセルをゆるめる、ブレーキを踏む、もう、進んでさえくれればいい。
 何度目かの上り坂、頂点にある信号で、トラックは左に折れた。
急に視界が開ける。何だ、ただの信号渋滞か。よし、いけるよ、いける!
 慎重にアクセルを踏み込む。じわ、またひと筋、熱が押し出されたのが分かる。ち、油断したか、でも、もう負けない。
 なだらかな下り坂に入ると、よし、見えた! 反対車線、ぽっかりと浮かぶ、コンビニの光、もう少し、もう少し!
 ウインカーを出すため、右手を股から離す。じわ、堪えろ! ちょうどコンビニから出て来ようとする車がいる。早くして、はやく!
 ぎりぎりすれ違って、あたまから駐車場につっこむ。パーキングブレーキ、すごく久しぶりに触った気がする。手が震えている。鍵がつかめなくて、エンジンが上手く止められない。おちついて、おちついて! シートベルトをはずすめからだを少しひねるのが、こんなにつらいなんて。膀胱が悲鳴を上げる。
 しゅる、シートベルトが耳元を通過するのと同時に、転がるようにドアを開いて、からだを半分、車のそとに放り出した、そのとき。

しゅ、しゅしゅしゅ、しゅ。

 右足が地面につくか否か、その瞬間。
意思に反して、こんなに我慢しようとしているのに、反して、あついあついかたまりが、下着のなかで転がった。それは1秒後には大腿の中ほどまで達し、急激に熱を失う。
 それから、また1秒後、いや、もっと短かったかもしれないけれど、それは、みずのに、コンビニ内で失禁する自分の姿を想像させるのには十分な時間だった。
 このままじゃ、トイレまで我慢できない。あの煌々と蛍光灯の照らすなかを、ぽたぽた水たまりを引き摺りながら、トイレまで行くのか。入り口で立ち読みをしている学生の横を、レジに並ぶOLの後ろを、棚の整理をする店員の前を。おもらししながら。
 今できる最良のことは、おもらしを誰にも悟られないこと。そのために、できることは。
ビデオテープの逆回しのように、みずのは車中へ身を折り曲げ、ドアを閉める。
そうだ。
 スーツのジャケットを脱ぎ、丸めるようにしておしりの下に敷く。再びシートベルトをかける。ベルトが下腹部を通過する。膨れ上がった膀胱に伝わるわずかな圧迫が、痛みとなって、胸に渦巻く。
 エンジンをかける。パーキングブレーキをはずして、ハンドルをめいっぱい右に切って、アクセルを踏む。ごめんなさい、後ろ、見られない。どうか、だれもいませんように。
 車道に出る。直進。青信号。右折。直進。視覚情報だけをもとに、手と足が勝手に運転をしているような浮遊感。それ以外の神経のすべては、からだの一点に集められている。ほんのわずかでも気を緩めたら、明日から会社に行けない。神経が神経を締めあげる痛みに、そのほんのわずかの理性的判断が耐えている。もはや神経の行きとどかない奥歯が、かちかち、無言の抵抗をする。
 十字路。一時停止。左右確認。前進。一時停止。左右確認。右折。見慣れた細い路地。ようやくゴールが見えて、麻痺しかけていた思考回路にまた電流が走る。駐車場に車を止めて、そこから歩いて、それから、トイレ、トイレ、トイレ、おおよそ5分の道筋を描いて、みずのは、決めた。

もぉ、無理です。

 それをさかいに、体内の力が逆転する。痛みとともに、抑えに抑えていた筋肉が、押し出す方へ、押し出す方へ力をかける。
 だってもう我慢できないもん。しょうがないじゃん。
しょおおおおお、お、
 水流が布地を打つ音が、確かに聞こえた。股間から迸る熱は、あっという間にお尻まで広がり、けれど、いままで、その活動を禁じられてきた腹筋は、この時とばかりに膀胱を圧迫し続ける。
しょおおおおお、お、
 窓や玄関の明かりの漏れる細い路地を、白い軽が走る。何の変哲もない日常の景色のはずなのに。なんだろう、この、非現実な感じ。わたし、会社の車でおもらししてます。

おしっこ、あったかくて、きもちいい。

 かろうじてハンドルにつなぎ止められていた理性が、その言葉の口から出ることを許さなかった。



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