―4―
 それから3日間、母とは口をきかなかった。3日後がお小遣いの日でなければ、もっと長く無言の抗議を続けたかった。
 わたしがどんな思いで、おしっこ我慢しながら帰ってきたのか、分かってる?
それを、おむつだなんて。

「あ、え、はい」
 なんだか声にならなかったけれど、すずみは差し出されたリハビリパンツを受け取っていた。わたし、何やってるんだ。
「わたしも入社したころ体験したんだよ、これ穿いて、おしっこするの。なかなかおしっこ出てくれなくてね」
 へぇ、そうなんですか。あたまのなかでもぐらたたきが続いている。口だけが、勝手に答えた。
「そのままじゃ持ち歩けないよね。ちょっと待っててね」
 職員さんは振り返り、棚の二段目を開ける。なかにはデパートの紙バッグが幾つか並べられていた。彼女はそのうちのひとつを取り出し、すずみに手渡した。
すぐにすずみは、紙パンツをバッグにしまう。
「とんとん、お済みですか? ちょっと失礼しますね」
 あ、と思い出したような顔をして、個室へ向かって声をかける。それからもうひとつ紙パンツを手にして、カーテンをくぐった。
少しして、衣類を換える衣擦れの音がして、やがて水を流す音。再び職員さんに手を引かれながら、品のよさそうな白髪の老婆があらわれる。すずみは慌てて笑顔をつくる。あれだ、気まずい時にする、笑顔。
 職員さんは彼女に手を洗わせて、また腕を引きながらトイレを後にする。ちら、とこちらに目をやって、
「べつに無理強いじゃないから。いらなかったら、また棚に戻しておいて」
小声で、言った。
 空調の冷気もトイレまでは届かなくて、ここだけむせ返るように暑い。その上やけっぱちみたいな西日がぎらぎら窓から流れ込んできていて、すごく明るくて、ほら、あの寒い日にあったかい湯船にしずむときの、ちりちりした幸せな感じ、あんな、幸せな感じがして、トイレで幸せな感じなんて、要はちょっと、おかしくなってたんだと思うんだけれど。
 もし、使用済みのおむつ、家族に見つかったら変に思われるよね。だったら、いつ穿くの。
「今でしょ」
わたし、やっぱりちょっとおかしくなってたんだと思う。
 カーテンをくぐって、個室に滑り込む。それから、ズボンと下着を一気に降ろす。普段は気にならない、衣擦れの音がやけに大きく聞こえて、カーテンの外に誰かいないだろうか、そればかり気になった。
 下着を膝まで下げたところで、あ、靴脱がなきゃ。脱いだ靴の上でバランスをとりながら、洋式便器のふたを閉めて、下衣をいちど置く。それから、今でしょ、リハビリパンツに脚を通す。はじめて穿く。肌を包むごわごわした感じと相まって、なんだろ、すごくあったかい。
 ズボンをはいて。けっこうお腹のあたりまであるんだ。キャミで隠せるかな。残った下着は、少し考えて、ポケットにねじこんだ。
 紙袋を棚に返して。上から見下ろして、ズボンを確認。夏場はえらく不評な厚手の学校指定ジャージのせいかな、そんなにラインは気にならない。おしりをなんども両手でなぞる。大丈夫かな、透けてないかな。
 あ、鏡。洗面台の鏡の前で、おしりをつきだして、何この恥ずかしい格好。前かがみになっても、目立たないよね? わたし、おしりおっきいから。
「あ、すずちゃん、いたいた」




←前へ 次へ→