―6―
 鍵が見つかったらしい。利用者さまは扉を開けて、室内に滑り込む。職員さんは頭を下げながら、ネタみたいな挨拶をしている。わたしも、とにかく笑顔だ。
 それから、よし戻ろう、とか言って、職員さんは階段を駆け降りて行く。降り方までネタみたい。わたしもがんばるけど、衝撃に膀胱が耐えられない。2、3歩走って、早歩きになって、また2、3歩走って。やっと車に飛び乗って、座った瞬間、思いっきり前かがみになって、おまたを押さえていた。
 がさ、脚の間に感じる違和感が、こころ強く思えてしまった。万が一があっても、大丈夫、って。もぐらたたきが続く。おむつしてたって、我慢できなかったらおもらしじゃん、中学になって2回もおもらしなんて、ない。
 座っていても車の振動が膀胱を揺さぶる。じっとしていたら、おしっこのことばかり考えてしまう。職員さんは前の席に座っている。見えないよね? 膝をすり合わせたり、腰を左右に動かしたり、なんとか、気持そらさなきゃ。
 ひとり降りられて、もうひとり降りられて、またひとり降りられて、立ち上がるたびに、川が滝になるみたい、おしっこが、出口をめがけて落下してくる。もう完全に内また前かがみ、立ち止まると、本当にそのまま滝になってしまいそうで、うろうろ、くるくるしてる自分がおかしい。職員さん、気付かれちゃってるかな。
 車の中はずいぶん人が少なくなった。外はもうオレンジ色。ずっと我慢してたおしっこって、こんな色だよね。もぐらたたきのハンマーを握る手が、震える。もぐら、優勢。
 ちょっとだけ、出しちゃおうか。もぐらが一気に顔を出す。膀胱は素直だ。まだゴーサインは出していないのに、すっかりその気、今でしょ、とばかり収縮をする。
あ。でちゃった。
 おまたのまわりが温かくなる。さっきからもうずっと両脚のあいだで固定されている指先には、当たり前だけど、濡れた感じは伝わらない。気力を振り絞って、もぐらを叩く。職員さんは利用者さまと何かを話している、内容がさっぱり耳に入らない。あ、降りられるのか。車が止まって気付く。立ち上がる、またでちゃった。
 最後の利用者さまが降りられて、車の中は3人だけになる。職員さんはやっぱり前の席に座っていて。運転手さんとなにか話している。わたしはズボンの上からぎゅうぎゅうおまたを押さえつけている。手を離したら、たぶん、もう止められない。
 すっかり冷え切った車内。おひさまがんばれ。両腕にびっしり鳥肌が立っている。こんなに寒いのに、前髪がべったり、汗でへばりついている。片手で額をぬぐう。脂汗、ってこういうのを言うんだ、てのひらがぬめる。
 職員さんが話しかける。口だけで何か答えている。ここがどこだかよく分からないけど、たぶん、もう少しでつく。そしたら一目散にトイレだ。おまたのまわりが、まだあったかい。濡れている感じはないけれど、ごわごわが一回り大きくなってる気がする。けっこう出ちゃってるかな。染みてないよね?
 見えた、駐車場。車が大きくカーブを切る。膀胱が振り回されているみたい。ここまで頑張ったんだ。あと少しじゃないか。
 車が減速する。このまま施設につっこんでくれても構わない。できれば、トイレの隣まで。職員さんが扉を開け、お疲れ様、とか言った気がする。早く降りて。飛び降りた職員さんに続いて、車外へ出る。冷えたからだを熱気が貫くみたい。ぎゅう、奥歯を噛んで、トイレ、行ける。

万が一間にあわなくても、おむつしてるから、へいきだよ。

あ、もぐら。
もう、ハンマーを振り下ろす時間は残されていなかった。
トイレに行ける安心感よりも、きっと、もぐらのささやきのほうが決定打だった。認めたくないけど。こころが負けた。

しゅる、しゅわ、わわわわ、

 あけっぱなしの扉に手をついて、わたしは立ち尽くす。
括約筋よりも膀胱の収縮のほうがはるかに勝って、おしっこを止めることはできなかった。途中からはもう、ちからをいれるのもばからしくなって、落下を重力の法則に任せていた。
 おまたのまわりが一気に温かくなって、それからすぐにおしりの方まで熱が伝わる。どれぐらいの時間だったんだろう。息を止めていた気がするから、そんなに長い時間じゃないはずだけど。

 わたし、またおもらししちゃった。
 しょうがないよ、よく頑張ったね。

聞こえるはずのない、優しい声だった。




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