―5―
それから、どうやって家まで帰ったのか。よく覚えていない。歩き始めは、サンダルのぬれて、足が滑るような感じがした。繰り返し、パーカーの上からお尻を気にし、濡れていないか確かめていた気がする。
家に着くころには、冷たさも感じなくなっていた。
玄関の前に立つ。時刻、ちょうど7時。父と母は怒るだろうか。怒られてもいい。でもその前に、着替えなきゃ。
おそるおそる、玄関の引き戸に手を掛ける。鍵はかかっていない。お姉ちゃん、まじサンキュ。
からから、戸を開けて、家の中に滑り込む。ただいま、聞こえないように、つぶやく。廊下に、扉から入る光が伸びている。つきあたりがリビング。人の気配はしない。
サンダルを脱ぐ。濡れた染みがくっきり残っていて、下駄箱の隅に転がして、廊下、ぺたん、まだ足の裏が濡れている、足跡、残ってるかな、拭かないとにおっちゃうかな。
忍び足でリビングに入る。
あ、お姉ちゃん。
グレーのスェット姿の姉が、栗色のストレートヘアを投げ出して、ローテーブルに突っ伏している。片手でスマートフォンを持っていて、親指だけ、動かしている。
「ただいま、お姉ちゃん。」
絞り出すように、それだけ言って、リビングの右奥がバスルームだ。一刻も早く、これ、隠さないと。
「かのん、ちょっとこっち」
突っ伏したまま、お姉ちゃんのけだるい声。
え。
心臓が、内側から爆発するみたいに、弾ける。
「いいから、こっち、わたしのとなり」
うそ、どういうこと、パーカー、濡れてないよね。
足が震える。けれど、この場を離れる口実が思いつかない。
「座って」
姉が顔を上げる。目線はスマートフォン。
もしかして気づいてる? わたしのおもらしのこと。
座ったら、ぜったいばれちゃうよ。
心臓が口から飛び出しそうなくらい、なにこれ。氷でも押し当てられたみたい、額が冷たく、硬い。
「なに?」
パーカーをお尻に巻き込まないように、そうっと、しゃがむ。
お姉ちゃんはわたしの顔をじっと見る。
距離にして30cm。お化粧してないお姉ちゃんの顔。半分消えかけた眉毛。どうか、おしっこのにおい、しないでください。
「ん、いいよ」
姉はまた視線をスマートフォンに戻す。
「なに」
顔がまだ強張っている。びっくりするくらい、声のトーンが低い。
「お酒くさかったらおとーさんに言いつけてやろうと思ったけど。」
なにそれ。
「ただ、ファミレスでだべってただけだよ、友達と」
ここ大事です。友達と。
「シャワー、浴びてくれば? お化粧、はやく落とした方がいいよ」
さすが、朝帰り常習。
「あ、うん、ありがと。」
わたしはよろよろ立ち上がり、ちょっとパーカーを気にしながら、バスルームへ向かった。
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