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 わたしは、走り出していた。走りながら、わたしは風のようだと思った。はやく、はやく、姫さまのところに行かなければ。黙っていたら、わたしはわたしの最も大切なものを失ってしまう気がして、言わなければ。
 下半身がずきずきと痛む。相反する二つの力のあいだで、内臓が悲鳴を上げている。けれどそれがどうした。姫さまのところへ。
 見えた。
姫さまの白い細い両手の指が、からだの前、お腹の下の方、スカアトの上で結ばれている。その下、スカアトからのぞく針金のような両足の、膝から下がちいさくハの字を描いている。もう少し、もう少しだから、姫さま。
 何も気づかないのか、あるいは分かっていて意地悪なのか、お姉さまはお説教を続けている。そうだ、言わなきゃ、言わなきゃ、言わなきゃ、からだのなかでどろどろのかたまりが、溶けて、弾けて、けれど言葉の、気持ちの奔流がつっかえる。吐き出すには、喉はあまりに狭すぎる。もっと、力が必要だ。喉を、おなかを突き破るくらいの、力。
 からだの中心の真っ黒い金属のバネ、黒光りしてちょっとやそっと押したぐらいじゃびくともしないそれを、全身の力を込めて圧縮する。まだ、まだ、もっと。耐えて、耐えて、指が震える、手のひらが震える、でも、耐えて、突き破れ、バネが弾けるとき、わたしの身体を食い破って、化けものが飛び出すだろう。真っ黒い化けものがわたしの身体を炸裂させる。力が光にかわった、白熱だ、この上なく直線的な光線だ、幾条の光の剣が、いま、わたしの体内から四散する、今だ、言え。

いいかげんにして!

 光の刃がわたしを切り裂き、四方八方に飛び去っていく。
光って、こんなに温かいのか。皮膚の上を、温かい、温かいひとすじの光が、滑っていった。

 いつの間にか、秋が訪れていた。
街路樹の並木が赤や黄色に色づきはじめ、マフラーや手袋なんてを纏い始める友人が現れるころ、校舎には静かに、けれど確実に慌ただしく、お祭りの空気が満ち始める。
 学園祭。
文芸部に所属する黒沢そう、にとって、学園祭は作品を発表するいちばんの舞台。
 スタンドパネルで迷路のように仕切られた教室は、一面の暗幕で覆われ、そのいたるところに、イラストや、写真や、詩が飾られる。中学生の手作り発表会、と言われてしまえばそれまでかもしれないけれど、学園祭の2日間だけ、この教室はパリの名だたる秘密画廊、そんなものがあるのか知らないけれど、にも肩を並べられると、少女は内心の高揚を噛みしめていた。
 文芸部の出し物は展示だけではない。部員たちとっておきの書き下ろし原稿を集めた冊子の発行がある。そうが入学した年の四月、おそるおそる叩いた文芸部の部室で見せてもらった小冊子。ええ、こんなすごい本が作れるんだ。一年生の学園祭、暗幕に包まれた神秘の教室の奥に置かれた小冊子、その数ページを飾る、彼女の原稿。
 学園祭の前日、そうは、何度も何度も冊子を手に取り、自身の作品に目を通した。それから、先輩たちの作品を読んで、舌を巻いた。うまいなぁ、来年は、もっとすごいもの書くんだ。
 それから1年、二年生になったそうは、夏休み前から作品の準備に取り掛かっていた。大好きなゴシック調の散文、お姫様の物語。けれど、秋風の立つ頃、彼女の手はぴたりと止まってしまった。書けない。学校でも家でも、彼女は作品の事ばかり考えてた。ああ、いっそ、家を飛び出して、学校にも行かないで、原稿用紙と向き合っていられたら、どんなにペンが進むだろう。




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