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ぜんまいの切れたおもちゃみたいに、力なく、でも、きりきり不自然に、首が下を向く。
足元に、硬い短い毛で花柄のマットの上に、液体が走っていて、やがてマットから飛び出して、白い床まで広がって、広がって、止まるころ、やっと、何が起こったのかに気がついた。
おしっこ出ちゃった。
ばちん。ほっぺたをたたかれたような音がした。おもらししちゃった。我慢できなかった。おしっこ、出ちゃったんだ。
からだじゅうのちからが、おしっこといっしょに流れて抜けてしまったように、少女はだらりと扉にもたれかかった。足の裏が冷たい。足の裏だけじゃない、おまたも、太ももも冷たい。紺のワンピースの真ん中から下、もっと濃く、ひかっている。肩で息を吸って、でも、からだが凍りついたみたいに、吐けない。
どうしよう。なんて言おう。どうやって帰ろう。ここからどうやって出よう。床拭かなきゃ。こんなに濡れてたら隠せるわけないよ。どうしておもらしなんてしちゃうの。どうして、どうしよう。
あたまの中がぐちゃぐちゃになって、ぐちゃぐちゃが、おでこの上にしわをいっぱいつくって、顔のまん中に集まって、それで、両目からいっきにあふれ始めて。泣いたってしょうがないよ、おもらしどうにかしなきゃ、どうするの。ねぇ。
もう言葉にならない嗚咽が、のどの奥で震えている。泣いたってしょうがないよ、でもさぁ、目がひりひりして、開けていられなくて、ぎゅってつむるとまた涙があふれて、のどの奥が震えて。もぉやだ、どうすればいいの!
こんこん、
背中に、乾いた音が伝わる。
自分の顔をはたくみたいに、すごい速度で口を押さえていた。息がとまる。沈黙。次に聞こえる音は何だ。全身の毛穴が上を向いているみたい、耳をそばだてる。ホラー映画だったら、わたしを殺しに来るゾンビが、扉の向こうに、たぶん、いる。
「佐々木?」
わたしが、今日いちばん聞きたかった声。でも、いまいちばん、聞きたくなかった声。
最悪だ。
また涙があふれて、頬が破れそうなくらい、口をふさいだ。
「大丈夫かよ? おい、佐々木?」
何か言わなきゃ。そうだ、ひーちゃん。
「あの、ひーちゃん呼んで、大変なの」
まだ口を押さえたまま、よく言えた、自分でも驚いた。でもきっと泣いてるって、分かっちゃっただろう。しょうたくん、せっかく話しかけてくれてるのに、わたし、いまいちばんしょうたくんに会いたくないのに!
「藤田、呼べばいいんだな?」
「うん」
「ちょっと待ってろよ」
どたどた、足音が遠くなる。はじめて、大きく息を吐く。それから、全力疾走のあとみたいに、なんどもなんども、吸ったり吐いたりする。
少しして、こんこん、ノックの音。
「あおっち、どしたの?」
もう一度大きく息を吸う。
「ひーちゃんひとり?」
「うん、そうだよ」
また、ぜんまいの切れたおもちゃみたいに、少女は扉へと回転する。足の裏の冷たさが痛い。
かちゃ。鍵を回す。それからほんの少しだけ。扉を開ける。ふわ、冷たい空気が流れる。
ほんの少しの隙間から、友人の瞳が見える。
もう少し、扉を開ける。友人の口が、あ、のかたちのまま止まる。
「ちょっと待ってて」
ひーちゃんが駆け出す。わたしはまた扉を閉める。何か声がする。それからわたしは、ぴったり扉に張り付いて、次の音を待った。扉におでこを付ける。少し、ニスみたいなにおいがする。扉からあたまを離したら、きっと、おしっこのにおいがする。
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