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 玄関に置きっぱなしのコートを羽織ると、わたしはひーちゃんちを飛び出していた。
 ひーちゃんにもみんなにも、何か言わなきゃいけないことは分かっていたけど、なんて言っていいか分からなくて、同じくらい、何かを言われるのが怖くて、わたしは走って、家まで帰った。それから、階段を駆け上がって、二階の自分の部屋に飛び込んで、重たいビニール袋を放り投げて、扉を閉めて、バレッタを引っこ抜くみたいに外して、それから、ひーちゃんに借りた服をぜんぶ脱いで、キャミソール一枚で、ベッドに倒れこんだ。枕に顔を押しつけて、声にならない声を、叫んだ。

あんなに楽しみにしてたのに。

 しょうたくんと一緒にいられるって。気持ちを伝えるんだって。あんなに、どきどきして。しょうたくんをびっくりさせたくて、5年生は卒業式に出るからって、ねだって買ってもらったワンピース。いま、きっと考えられる限りいちばん恥ずかしい姿で、部屋のすみに置かれているワンピース。わたし、なにやってるんだろう。声にならない声、枕に顔を押しつけたまま、叫び続けて。少女は、泣いた。

寒い。

 薄暗い、よりもう少し、部屋は暗くなっていた。カーテンの隙間から、わずかに、たまごの黄身みたいにどろりとしたひかりが忍び込んでいる。
 少女は少し顔をあげて、意識を失っていた事に気がついて、叫びながら人間は眠ることができるのか、ぼんやり、思った。
 もう少し首を後ろに向けると、部屋の隅の暗がりに、溶けそうになりながら白いビニール袋が転がっていて、夢なわけないよね、また枕に顔をうずめる。

寒い。

 うつぶせになったまま、右手の指で膝の裏からから太ももあたりまで、たどる。
 ひんやりと冷たいのは、指先の感覚なのか、それとも太ももの感覚なのか、分からなくて、少女はもう一度、感触を探った。
 真夏の暑い夜、半分ねぼけたあたまで両手を枕の下のつめたいところにつっこむ、あの満足感。しばらくそうしていると、手の熱で枕の下があたたまって、どこか少しでもつめたいところをさがして、ごそごそ、手を動かして。そんなふうに、少女の指先は自分の肌の上をさまよった。
 膝の裏、おしり、でっぱった骨の上、太ももの内側、それから。
左を下にして、からだの向きをかえる。かさ。髪の毛のさきが、首筋から、鎖骨のあたりへつたう。窓辺からオレンジ色のひかりが細い細い糸をひいているほかは、おどんだ暗がり。その暗がりの中に白いキャミソールと、冷たい下半身が浮かんでいる。

寒い。

 硬質の指先が、熱を探している。太ももの内側を往復し、少しずつ、その上へと近づく。
 やがて指先は、脚の付け根に行く手を阻まれる。人差し指を上にして重なった2本の指が、両脚の付け根の出会う、皮膚の異質を感じる。耳たぶよりももっと柔らかい皮膚の重なり、そのあいだで、2本の指が逡巡を始める。
 呼吸音は、いつしかくぐもった音に変わり、唇か、あるいは鼻から、漏れる。2本の逡巡に合わせ、音は少しずつ大きくなって、少女は乱暴に、布団の端に咬みついた。2本の指がもがく。皮膚の熱がまとわりつく。熱が脈打ちながらからだのなかを駆けて、のどの奥で音を立てて弾ける。そののどめがけて詰め込むみたいに、布団を咬み続ける。やがて人差し指は、ひとり、すずむしの翅みたいに、震え、震え、布団で塞がれたままの口から、声にならない声、言葉にならない言葉、もういいから、指を止めたら、言葉を思い出してしまうから、言葉じゃなくて、そうじゃなくて、じゃなくて、なくて、熱。

とく、と、とくん。
 暗闇のなかで、白いからだが3度、小さく波をうった。

でも。

 先端を黒い染みに蝕まれた布団が、空気抵抗に少し勝って、半円の音のない落下をする。
 やがて、柔らかくなった息とともに、あおいは、今日、言えなかった言葉をつぶやいた。




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