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 本名がとっても気に入った。名物の温泉。まるで大きな、樽。ほら、お酒とか作ってそうな、あれ。ドラム缶風呂のおおきいやつ? もちろん、木でできているけれど。
 洗い場から、石を組んだ階段を上がって、大きな樽の淵まで行く。ゆらゆら、透明な水面に、月が映っていた。いちど、淵に腰をかける。思ったより深いみたい。それからゆっくり、湯船の底を目指す。ふわ、体が浮く感じ。やば、わたしはあわてて、からだこわばらせた。
「立って入るんだ、そうだよね」
「座ってもいいけど、溺れるよ」
「ていぅか池田、バスタオル巻いたまま入ってるの?」
「だって恥ずかしいんだもん」
 4人で、向き合って、お湯の中。修学旅行でもいっしょに入ったけど、味気ないホテルの大浴場とは違う。やっぱり露天風呂。来て良かったぁ。
「知ってたけどさぁ、岡ちんほんと胸でかいよね」
 池田が、しげしげと見る。確かに。お湯に浮かんでるみたい。すごい浮力。岡田、修学旅行欠席してたから、わたし見たのはじめてかも。
「カップいくつだっけ?」
「E」
「でか! 身長そんなに変わんないのに!」
「ていぅか、私たちみんなちびだけどね」
「触っていい?」
「やだ、きもい」
「じゃあ、上たんの」
 どうしてそうなる。
池田が両手をわしわしさせて、こっちに近づく。まじやめてください。からだをひねる。お湯がからだを押す少しのちからが、ずッ、おなかの下にひびく。せっかく忘れてたのに。こんなことなら、おトイレ行っておけばよかった。気が休まらないじゃん。
「わぁ、月、きれい!」
本名が浴槽の淵に手をかけて、上半身を伸ばす。白い月。さっきよりずいぶん高くなったみたい。
「やっぱ来て良かった」
でしょ、岡田さん。
 4人で同じお風呂に入って、月を見るなんて。ちょお青春じゃない? わたしは、月明かりに反射する友達の横顔を、ひとりひとり、見たりして。思い出、いっぱいつくるんだ。おしっこ、もうちょっと、我慢。べつに不自然じゃないよね、ちょっと前かがみになって、ひざをくっつける。ちからを、入れなおす。
「飲み物とか持ってくれば良かった」
「月見酒的な」
「なにそれ、ちょうおやじじゃん」
「ていぅか、のぼせない?」
「私、けっこう平気なほう」
「あ、でもご飯あるし。そろそろ、上がる?」
 そうだ、晩ご飯。さすが本名さん。冷静に考えれば、やっぱり上がった方がいい。リラックスできるはずのお風呂で、わたし、なんでこんなに緊張させてなきゃいけないんだ。まぁ、おトイレに行かなかったのが悪いんだけど。
「あれ、でもどう上がるの、これ」
 わたしたちは湯船に立って入っている。上がるには、どうしたらいいんだ。
「足場になりそうなとこ、ある?」
ゆらゆら、月明かりが透ける、高級卵の黄身みたいな色の、樽のなか。足場になりそうな段差はない。
「乗り越える、ってこと?」
「ええ、やだ」
 お風呂の淵に手をかけて、上れなくもない。それしかないか。
「上たん、旅館のひと何か言ってなかったの?」
「聞いてないよ」
「使えないなぁ」
 むか。なんだその言い方。わたしはちょっと腹が立って、
「別に、普通に出られるよ」
浴槽の淵に両手をかける。プールから上がるのと同じ要領でしょ。浮力も手伝ってくれるし、楽勝だよ。
 ぴょん、跳ねると同時に、腕を伸ばす。

あ。

 普段なら、楽勝だ。けれど、温泉で筋肉までほぐれてしまったのか、力を入れた一瞬、お腹のしたにこっそり抱えていた液体が、こぼれた。
 両腕を伸ばしたまま、からだを硬直させる。だいじょうぶ、止まったよね。気付かれてないよね。でも。
 それから、片足をお湯からひっぱりあげる。
「上たん、おしり丸見えー!」
うるさい、池田! 恥ずかしいけど、こっちはそれどころじゃない。足を着く。からだを持ち上げる。おなかに力が入る。やばい、また、出ちゃったかな。
「ほら、出られたじゃん!」
 わたしはきっとかなりむくれて、顔だけ振り返って言った。ごめん、先に上がらせてもらおう。かなり、きけんかも。



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