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 ぎゅ、もう一度、腰にちからを入れる。のぼせてるのかな、なんだかからだが言うことを聞いてくれない気がする。だいじょぶだよね、まさか、出ちゃってるなんてこと、ないよね。
「上たん、ひっぱってー!」
「ええ?」
両手できもち胸を隠しながら、振り向いてしまった。
 湯船の中で岡田が手を伸ばしている。ちょっと、ごめん、いまはまじ勘弁して!
「いじわるー!」
「自分で上がってこいよ!」
 つい、口調が荒くなる。なにやってるんだわたし。ここ、ぜったい切れる場面じゃないだろ。なんだか変に罪悪感というか、自己嫌悪というか、とにかくあんまりいい気分じゃなくて、わたしは腰をおろして、岡田の手をつかんだ。ずし、圧迫感。奥歯を噛む。ちからを集める。たぶん、顔に変なしわが寄っている。
「せーの!」
 ぴょん、岡田は片手を浴槽の淵について、浮かぶ。足を掛ける。それから、四つんばいみたいなかっこうで、湯船から上がる。
「上たん、わたしもー」
本名! もう、ほんと勘弁してくれ。
 でも、この場を離れるうまい言いわけが思いつかない。わたしはまた腰をかがめて、手を伸ばす。きりきり、おしっこの出口が痛い。内またになって、体重を右足、左足、交互にかける。
「せーの!」
 ひっぱりあげる。

しゅぷ、

 なるべく、おなかにちからをかけずに、でも、一点にちからを集中させて、いるつもりだったけれど。すっかり冷えたからだ、太ももをひとすじ、お風呂と同じくらいの熱をもった液体が流れるのが分かった。うそ、こんなとこで、みんなの前で、おしっこなんて。いくらはだかだからって、あり得ないでしょ。
 子供じゃない、その一言が、理性をつなぎとめる細い細い糸になって、下腹部を締め上げる。
「池田は自分で上がれるよねー」
 岡田がいたずらっぽく言う。頼むからそうして。わたしは一刻も早く、この場を去らなければならない。
「私も上たんにせーのしてもらいたいー」
 池田ならそう言うと思った。予想はできていたし、ついさっきまではきっとそうなるだろうと思っていた。でも、これはほんとにまずい。
 お腹のなかがぐるぐる、ものすごい力の渦になっていて、もうまっすぐ立っていることができない。きっとくねくね、不自然に腰を動かしている。だって動いちゃうんだもん、じっとしてたら、出ちゃうよ。
「からだ冷えた! 先上がらせて、ごめん!」
 嘘はついていない。わたしは滑るように、階段を下りた。口元だけが、変に笑顔になっていて、戻らない。
「シャワー浴びてかないの?」
 いっそ、シャワーを浴びながらしてしまおうか。女同士だし、うまくやれば気付かれない? でも、脱衣室に向かいかけたからだを、再び洗い場に向けるだけの時間と判断力はもう、残っていなかった。
 わたしは脱衣室に飛び込む。それから、バスタオルでくちゃくちゃ、胴体だけを拭いて、
 とにかく下着、拭き切れていない水滴が布地に染み込んで、穿きづらい。むりやり足をねじ込んで、ぴし、嫌な音。でも気にしてられない。それからブラ、指先が定まらない、ホック、止められない。

しゅ、しゅぷ。

 意識を指先に向けたそのわずかな隙、拭き残した水滴で濡れたと信じたいけど、それよりは明らかに熱い液体が、下着にひろがる。
 もういい、ホックの止まらない中途半端なブラを浴衣で抑え込む。それから帯、丁寧に巻いてあるのが恨めしい。ほどけろよ! 涙がこぼれそうになって、唇を噛んで、ほんとわたし、何やってるの!
 ぐるぐる巻きつけただけの帯、片手で押さえて、スリッパ、どれでもいい、早くしなきゃ、こじ開ける引き戸、後ろ手で閉めようとして、勢い余って、かつん、跳ね返る。ごめん! 直す余裕、ない!
 ちからを集めているところ、血が通ってないみたいな、嫌なつめたさ。細い廊下、ちょっと、おトイレどこ? 部屋までもどる? いや無理! たんたんたん、小走り、浴衣のすそが、足に絡まる感じ。もどかしい。
 あった、廊下のまん中、御手洗! 目に見える希望は、わずかに残された抵抗を無言で削ぐ。しゅ、しゅ、しゅ、また、下着があったかくなる。太ももを熱がつたう。あと少しだから、お願いだから!
 文字通り、トイレに駆け込む。スリッパをはき替える余裕はなくて、一番近い個室の扉を開く。つ、つ、断続的な滴が連なり、肌を滑っていく。こんなにちからを入れてるのに、どうして止まんないの。ばたん、扉が音を立てる。よし、鍵なんてあと、とにかく、おしっこ!

希望は、目に見えない方が良いのかも知れない。

 白いおトイレが目に飛び込んだ瞬間、瞬間、かどうかは分からないけれど、個室の扉から、おトイレまでたどり着いて、浴衣をたくしあげて下着をおろして、しゃがむまでのあいだより短かったわけだから、瞬間、でもいいだろう。

ぱちゃ、た、つたたたたたたたた、

 その瞬間、金縛りって、きっとこれだ、おトイレを目の前にして、おしっこがあふれだして、わたしは、ただ、立ちつくすしかできなかった。嘘じゃないです、からだ、うごかなかったんです。

ぱちゃ、ぴちゃ、ぴちゃん、

 あんなに願った解放は、きっと最悪のかたちで訪れて、わたしはぼんやり、天井を見上げた。

おもらし、しちゃったよ。



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