−2−
「これ、けっこう難しいね、範囲広いし。横のつながりわかってないと出来ないようになってるね」
 はぁ、そうですか。ちら、卓上の時計を見る。彼女が来てからまだ15分しか過ぎていない。あと何分やるの、これ。
「じゃあ、最初から、確認してこうか」
 はぁ。
 隣に知らないひとがいる。なんだ、この違和感。わたしの部屋なのに。息苦しい。ていぅか暑い。視線を外すけれど、どこを見ていいか分からずに、またちら、と彼女を見る。彼女は話をしている。目が細い。マスカラばっちり。チークもばっちり。暑いのは、彼女のせいか。二人きり、こんなに接近して。
 白いブラウスから伸びる、彼女の腕。むっちり。スカートからはみ出すみたいな太ももだって、むちむち。ザ・女子大生。わたしのイメージだけど。額を、変な汗が流れる。指先で拭って、麦茶をふた口、飲んだ。暑い。

「あやちゃん、細いよねー、色も白いし、髪もつやつやだし」
2ページ目まで終わって、彼女が言った。
 ちゃん付け、で呼ばれて、ざらざらした違和感が加速する。はぁ、べつに。そんな風に応えて、その後のどうでもいいよ、は麦茶と一緒に飲みこんだ。
「わたし中学生のころからけっこうブタちゃんだったからさー、あやちゃんみたいにすらっとした女の子、憧れだったなー」
 自分のことをブタとか言っちゃう、こういう感覚がきっと好きになれないんだろう。おねぇさん、きれいですよ。おねぇさんがブタだったら、他の女のひと、どうなるんでしょうかね。ぬるぬるした暑さが、胸のなかにとどまる。何度目か、額の汗をぬぐって、そのまま麦茶に手を伸ばそうとして、グラスは空になっていた。

 別に、勉強は嫌いじゃないけど。他に、やらなきゃいけないことが多すぎて、って、いつも、言いわけだって、わかっている。
 学校でも、家でも、頼まれごとをするとなんとなく引き受けてしまう自分が嫌だ。でも断って、嫌な顔をされたり、文句を言われたりされるのは、もっと嫌で、結局、引き受けてしまう。自分の首を自分で絞めている、んだろうな。分かっているんだけど、じゃあ、どうすれば、この手を緩めることができる。
「とんとん、がんばってますか?」
 母親の猫なで声。扉が開いて、麦茶のボトルを持ってきて、注いでから、出来の悪い子だから大変でしょう、頭は悪くないと思うんだけど。また、余計なことを言って、いいから、早く出てって。そうそう先生、お昼、どうされます? 扉を半分閉めて、母親が言う。はぁ? お昼食べてくの? 眉間にしわ、寄ったかな。うつむいて、それから、髪をしばり直す、ふり。
「あ、大丈夫です。ちょっと、用もあるので」
 あら、おデートかしら? そういうのはいいから、早く出てってよ。母親が部屋を出たのを確認して、麦茶をまた、飲んだ。

 時計を見る。1時間が過ぎた。まだやるのか。昼までだとしたら、あと1時間か。ちょうどテストの復習が終わって、おしまいくらいか。
「あやちゃん、緊張してる? わたしもけっこうどきどきしてるんだよねー。こんな感じで大丈夫?」
 思考速度を追いぬいて、彼女の言葉が流れ込む。とにかく、はぁ、大丈夫です、とか、口が勝手に答えている。わたしのことを気遣ってくれるんだったら、1秒でも早く部屋から出て行ってほしい、それから、もう来なくていいから。胸の中がどろどろする、苦しい。なに、この感じ。わたし悪いことしてないのに。なんだか損をしている気持ちになる。おしっこ、したくなってきちゃったし。
 この1時間で、コップ2杯は麦茶を飲んでいる。別に大した量じゃないし、さっきから変な汗いっぱいかいてるから。別に、我慢すればいいや。
 ここはわたしの家だ、ここはわたしの部屋だ。なのに、この出会って1時間ちょっとの知らないお姉さんに、トイレ、と告げるのが、トイレの許可を取らなければならない状況が、無性に腹立たしかった。別にいいよ、我慢するから。足を、組み替える。



←前 次→