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 あと10分、10分耐えればいい。大した時間じゃない。おしっこ我慢するだけ、大丈夫、つらくない、つらくないってば。
 つま先をぎゅって上げたり、下ろしたり。首筋から背中、ちょうどうなじ、髪を束ねているあたり、汗がにゅるり、這って、むずがゆい。おもわず変な声が出そうになって、とっさに、息を吸った。

すッ、

 肺に押し込まれた空気の分、しずくがあふれた気がした。うそ。
 あと数分。12時になれば、きっと母が来て何か言うだろう。わたしも何か言わなきゃだめかな。母親のくだらない話聞いてなきゃだめかな。母親におしっこ我慢してるの気付かれたら。みっともない、早くトイレ行きなさいよ、くらいのことは、言う、あのひとなら。それで、ばたばた部屋出たら、おしっこ我慢してました、って言うようなものだよ。ここまで我慢したのに。気づかれないようにしたのに。でも。
 あたまがくらくらする。下着に一瞬ひろがったしずくはもう熱を失っていて、けれど、机の上の麦茶のグラスから、だらしなく垂れてひろがる水たまりみたいに、わたし、うそ、もらしちゃうかも。

 机ぎりぎりまで椅子を前に出す。これでたぶん、机の下は彼女から死角。左手で、両足の付け根のあいだを押さえる。少し楽になる。あと8分、両ひざの肌がひきつれるくらい、脚をこすり合わせる。かかとが床から浮く。かたかた、かた、下半身が痙攣するみたいに震えて、ほら、腹筋のぷるぷるするあんな感じみたいに、震えて、やばいって、左手でひざを抑えつけて。

じゅ、じゅ、

 服に染み出す汗さえ恥ずかしいのに、もっともっと恥ずかしい液体が、汗よりももっとたくさん、流れるのが分かる。どうしよう、染みちゃってるかな。机の下、こっそり指を這わせて、染みているかんじはしない。けれど、汗ばんだ指先に残る、べっとりした感触。
 視線が上げられない。机の下、服、濡れてるかもしれない。ちら見、した方がいい? でも、濡れてたらどうしよう。左手はもうさっきから、両脚のあいだに押しつけたまま、それでも、じゅ、じゅじゅ、布地を二枚隔てた向こうで、にじむ、しずく。麦茶なんて飲まなきゃよかった。
 もっとはやく、お姉さんが気付いてくれて、「おしっこ?」って聞いてくれたらよかった? でも、わたし、きっと、違います、って言う。知らないひとにおしっこ、なんて、言えないよ、恥ずかしいよ。おしっこ我慢できない女の子だなんて、思われたくない。でも、本当に我慢できなかったらどうしよう。あと6分。うつむいたまま、唇を噛む。

「あやちゃん、気分悪い? 御手洗い、行こうか」

 死刑宣告にも等しかった。ぐうう、悔しさと恥ずかしさが、奥歯で圧縮される。
 けれど、凛とした、救済の響きにも聞こえた。この苦痛から逃れるのは、もう、今しかない。
 無意識だろう、震えながらあごが上がる。眉間に、皮膚が破れそうなくらい、しわが寄る。汗が目にしみて、開けていられなくて、ぎゅう、目を閉じるけれど、お姉さんに答えたくて、こく、小さく、それはきっと、小さないたずらを暴かれた幼子の、嘘に嘘を重ねた末の告白にも似て、きっともう他に選択肢のない、返答。
「大丈夫? 立とうか」



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