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すっかり冷え切ったからだを、腕いっぽんだけでぶら下げている。両脚がぶらんぶらん、重力に引かれているのが分かる。わずか、体が振れるたび、振り子みたいに運動が維持され、いや、加速され、遠心力にも似たちからを、体内に加える。
結果が、この温もり、か。
いっそ、このまま、してしまおうか。
これだけ濡れているんだ、今さら。
なんて考えて。
ばか。女の子がお手洗い以外の場所でおしっこするなんて。考えて、必ずどこかに、正解はある。考えて、正解を見つける。レナを助けるための、最適の解を。
決して体力に自信のあるわけでない少女が、片腕で自分の体を支えきれていたのだから、それほど、長い時間ではなかっただろう。けれど、冷え切ったからだをクールダウン、と言うのもおかしな話だけれど、ベランダから落下しかかったことによる一時的なパニックから立ち直るには十分な時間。
行こう、レナが待っている。
まずは、両手で手すりを掴め。
それから、からだを持ちあげろ。腕力だけじゃ無理だ。あたまを使え。先を読め、状況を良く見て、柔軟に発想しろ。
寒さに抗う奥歯が、かちかちと音を立てているのがわかる。負けるものか!
もえてもえつきぃ、ふゆのつばめよぉ、
あれ、なんだっけ。この歌。母さんが歌ってたっけ。どうして歌が聞こえるんだ、あ、わたしが歌っているのか。なんでわたし、歌なんてうたってるんだ。ちょっと可笑しくなって。
なきがらになるならぁ、それでいぃ、
こんな歌詞だっけ。レナのために死ねるんだったら、いいか。なんて。
そうだ、ベランダのいちばん向こう、あそこまで行ければ、1階のひさしを足場にできる。よし、いける。
ひとつ、ひとつ、となりの柵、となりの柵へ、目測3メートル。むかし、体力を競うテレビ番組でこんな種目を見た気がする。あれ、けっこう落ちるんだよね。
ひゅうるりぃ、ひゅうるりぃららぁ、
からだが振れるたび、重力に引かれる膀胱から熱があふれそうになる。ここまできたんだ、意地でもお手洗いでおしっこしてやる。
ついておいでとぉ、ないてますぅ、
ひとつ、ひとつ、からだを移動させる。
レナ、待ってて。もう少しだから。
重力に抗う両腕、両肩、痛い。心臓が一回の拍動で送り出す血液の量は60ミリから90ミリだが、心臓より高い位置に挙げられている指先にはどれほどの血が届けられているだろうか。痛い。疲労が蓄積している。疲労物質は乳酸だ。
手すり1本分、からだを移動するたび、振動は衝撃となって、四方八方から下腹部に落ちてくる。
わたしはレナを迎えに行くんだ。大好きなレナに、おもらししたまま会えるわけないよね。だから我慢するんだ。両腕は機械のように、次へ、次へ、歩みを進める。それ以外の意識はすべて、両あしのつけ根のまん中に集中させる。
ひゅうるりぃぃ、ひゅうるりぃららぁ、
ついておいでとぉ、ないてますぅ。
こおりの粒は前髪を巻き込んで、視界を塞ぐ。負けるものか。くちびるをぎゅっと噛んで、指先をのばす。もう、金属の冷たささえ感じられずに、皮膚を圧迫する感覚だけが、唯一、目標を見失っていないことを教えてくれる。
ひゅうるりぃぃ、ひゅうるりぃららぁ、
ききわけのなぁいぃ、おんなですぅ。
そうだ。負けるものか。レナの力になるって決めたんだ。諦めるものか。
冷え切った下腹部に、はちきれんばかりの熱かたまりを引きずりながら、少女は、進んだ。
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