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「ごめんね、お待たせ」
岡本さんが笑顔。岡本さんはそんなに背が高いほうじゃない。わたしよりも、あたまひとつ分くらい、小さい。からだの線も細い感じ。対面して、はじめて、気付く。
「車いす、ここに置いていっていいんじゃないかな、わたし、これで平気だよ」
とん、と松葉づえをたたいた。
「無理しないで、まだずいぶん移動するでしょ? わたし、押すから」
岡本さんは少し顔を傾けるような仕草をして、
「ありがと」
、座った。
 談話スペースに戻って少しして、先生と、ローズ・ガーデンの管理人さん? 白髪の、品のいい方がお話しをされて、ぞろぞろ、また一団は動き出す。制汗剤かな、お話しのあいだじゅう感じていたむせるようなにおいから解放されるのは、ありがたかった。
 外へ出ると、白い雲がずいぶん増えていて、直射日光はいくぶん弱まった感じ。よかったねー、これで少しはマシになるじゃん、そんな声が聞こえて、でも、冷房にすっかりやられていた冷え症のわたしは、ちょっとがっかりして。
 まただだっぴろい駐車場を抜けて、今度は門の右手側、高く茂った木立のあいだ、木漏れ日のさす、緩い上り坂。左側は斜面になっていて、一面に躑躅が植えられている。ずいぶん高い。3メートルくらい。ぽつぽつピンク色がのぞいていて、すべて咲いたら、さぞきれいだろう。
 きゃあああ、まるで化け物にでもあったような叫び声が聞こえて、少女の列が蜘蛛の子のように散らばる。いも虫が上から落ちて来たらしい。ここにたどり着くまでの桜並木にもずいぶんいたんだけど。気づかなければそんなに騒ぐはなしでもないでしょうに。
 きーもーいー、岡本さんが自分の両肩を抱くようなポーズ。きーもーいー、わたしも、彼女の言い方を真似して口にしてみる。大丈夫ですよ、もういないから。口にはしなかった。
 200メートルくらいだろうか。木立のあいだの上り坂。わたしは少し前かがみになって、車いすを押す。傾斜に対応する足首が、へんにつっぱっている。これ、明日は筋肉痛だな。さっき飲んだスポーツドリンクがもう、汗になって噴き出している。
 坂を登りきる。少し左に曲がる。わぁ! 先のほうで歓声が聞こえる。ぱっと頭上が開けて、眼下に広がる、ローズ・ガーデン。
 木々のあいだ、そこだけぽっかり空いたような芝生が一望できる。かなり広いその芝生に、まるで物語の庭園だ、咲き誇る薔薇。ぱっと見ただけでは数えきれない。
 もう先頭の生徒たちは、ぱらぱらガーデンへ下り始めている。傾斜は、かなりきつい。
「下り坂、後ろ向きになって降りると楽だよ」
今日何度も見た、振り向きざまの彼女の笑顔。
 それくらい知ってるよ、言いそうになって、言ったら絶対印象悪いでしょ、
「うん、ありがと」
、それだけ、答えた。
 入学以来、わたしはほとんど岡本さんと話をしたことがない。なんだか、住んでる世界が違う感じがして。今日の会話量はきっと、今まで岡本さんと話した会話の総量を上回っている。
 ゆっくり車いすの向きを変える。柔らかな芝生。車いすがのしかかる感じ。登るよりきついんだ。わたしはまた前かがみになって、腕をこわばらせる。
 そろ、そろ、傾斜をくだる。少しくだっては、振り向いて進路確認。かなりの数の生徒たちがもう、庭園のなかへと散っている。
 傾斜が緩やかになったのを確認して、車いすの向きを変える。緑のにおいがする。わたし、好きなんだ。
「わぁ、きれいだね!」
 岡本さんが胸の前で両手をあわせるような仕草。
「ほんとだね、どこから見ようか」
「どこでもいいよ! 築地さんの行きたい所から」
 進もうとして、がたん、揺れる。芝生にタイヤがめり込んでいる。
「大丈夫!? わたし、歩くよ!」
「大丈夫だって、岡本さんこそ、どこかぶつけたりしなかった?」
「ぜんぜん、大丈夫だから!」



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