−6−
 どしゃ降り。もうわたしはここを離れることが出来ない。ここで岡本さんを置いていったら、それこそ、本当に印象悪いじゃない。
 大粒の雨が音を立てて、髪に、眼に、首に、腕に流れ込んで、もうぐっしょりと重くなったスカートが太腿にへばりついて、足を動かそうとするたび、いやらしく、肌のうえをすべる。
 きっといま、おなかのなかに抱えたずきずきと重い痛みから逃れたならば、このどしゃ降りにも負けない水音をさせるだろう。
 痛い、苦しい。でも、少女は歩みを止めなかった。止められなかった。使命感とプライドと、あと至極当たり前の、

この歳で、この場所で、おもらしなんて、ない。

それが、彼女の足の止まることを許さなかった。
 もう少し、もう少しだから。
 前進のための足の動きなのか、抗いがたい体内の欲求による恥ずかしい動作なのか、分からない。ぽたぽたと雨のしずくの落ちるスカートのすそが、その重さにも負けずせわしなく揺れている。
 もう少し、もう少しだから!
 うつむいたまま、ちからいっぱい、車いすを押す。
がつん。
 両腕とおなかにひびく、今までにない抵抗。
 なに?!
 顔を上げた瞬間、

じゅ、じゅじゅっ、

下着に、雨ではない熱い液体がにじむのが、確かに分かった。
 うそ、でちゃうよぉ!
 けれど、顔を上げた彼女の目には、スカートのしたで決して知られてはいけない出来事が起きてしまったことよりももっと大きな絶望が待っていた。

そうだ、上り坂!

 ガーデンに降りるのに、目測10メートル程度か、坂を下っている。
 当然だが、もどるためにはこの坂を登らなければならない。けれど、ここまでの移動でもはや限界を迎えつつある筋肉に、坂を登り切るだけの余力が残されていないだろうことは、彼女自身が一番よく分かっていた。
 どうしよう、おしっこでちゃう。
 鼻の奥がつんとする。喉の奥を、しょっぱいなにかが流れていく。その間も、よたよたと足踏みは続く。けれど、車いすは進まない。
 もう、でちゃうよォ。

ふわっ。

 それは、ほんとうに不意に。
 両腕の抵抗がなくなった。
 見ると、車いすには、誰も座っていない。
 視線のもう少し先、岡本さんが立っていた。
「ありがとね、わたし、大丈夫だからさ、急ごう」
 言うが早いか、岡本さんはひょこひょこ、前進を始める。
 松葉づえを頼りに、頼りなく坂を上る小さな後ろ姿。
「わたしのことはいいから! 先に行って!」
 わたし、見限られた。もう頼りに出来ないって思われた。
 たぶんプライドと言うやつに、音を立ててひびが入った。
 けれど、ありがたかった。
 あのままだったら本当に、でちゃうところだ。
「ありがと!」
 わたしは、最後の気力をおなかの下に集めて、一気に坂を駆け上がった。



←前 次→