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 友達と過ごす時間よりも図書室にいる時間の方が長い、そんな声を聞いたことがある。それはきっと、事実だろう。1年生の時から図書委員で、名実ともに図書室の住人と言われた彼女が、図書委員長になったのは至極とうぜんの流れであるし、またその並々ならぬ熱意と生来の気まじめさが、おそらく全国の高校図書室が抱える問題に、果敢に立ち向かわせているのも、きっとまたとうぜんだろう。
 鞄を持ちあげる。窓を閉め、施錠を確認する。それから、カウンターの脇に吊られた図書室の鍵を手にとり、もう一度、室内を目視確認。
 施錠の後、するべきことは二つ。図書室の鍵を職員室に返却する事と、その前に、生理的欲求を満たすこと。
 会議の半ばほどから、尿意を感じていた。昼食後に一度お手洗いに寄り、授業が終わるとすぐに図書室に入った。からだが生理的欲求のサインを出すには十分な時間、だが、自分がどれくらいのあいだ生理的欲求を抑えていられるか、高校生ともなればおおよそ見当がつくし、その見当を違えることはまずない。この校舎を出る際、あるいは鍵を返却する前後どちらかで寄ればよいだけの話。何も、問題はない。
 ぐるりと図書室を見渡す。
 灯りのともる入り口付近のほかは、埃っぽい薄闇に沈んでいる。暗がりのなかにぼんやりと、無数の、いや、だいたい何冊あるかは把握しているのだけれど、それでも視覚的には無数の、本が佇んでいる。
 慣れた、とは言いますが、あの暗がりを見ていると、そう、例えば無数の本に閉じ込められた無数の思いが、その思いを刻むおびただしい数の活字が、わたしを見つめているような、そんな気がするんです。そして、その思いを伝えようと、わたしに向かって近づいてくる、そんなことを思います。
 別に、怖いとかじゃないけれど、でもなにか、胸が詰まるような、そんな気がすることは、確かです。
 ふと、視線が止まった。奥の棚。横になったり、後ろを向いていたりする本がある。
 もぅ、誰か読み散らかして。会議の前、図書室に入った時は気づかなかったから、図書委員の誰かが引っ張り出して、そのままにしたのかも知れない。
 本棚の整頓は、図書委員の基本業務のひとつです。少女は鞄を置くと、部屋の奥へと足を進めた。ゆる、おなかの下、生理的欲求がサインのレベルをひとつ上げるのが分かったけれど、すいません、優先順位はひとつ、下がります。
 下から2段目と3段目。時間があれば、本棚の埃を払っているけれど、触れるとざら、指先に張り付く感じはやっぱりする。
 腰をかがめる。乾いたにおいがする。本を手に取る。分厚い表紙の凹凸が指に伝わる。外国の小説、翻訳もの。本棚に空きがあるからって、横にしておかないで下さい。ブックエンドは十分な数用意しています。せっかく本を立てておけるスペースがあるんだから、平積みにはしないで下さい。取り出しにくいでしょう。きちんと背表紙が見えるように入れてください、後から読む人のことを考えて下さい。
 一冊、もう一冊、腰をかがめて本を入れ替える。おなかのなか、ちくちくする感じ。生理的欲求、レベル3程度。まだぎゅうって、ちからをいれて我慢しなければならないほどではないけれど、体勢の影響もあるでしょうか、紺のプリーツスカートに隠れた両膝が、自然にくっついて、擦れる。もぅ、わたしお手洗い行きたいんだから、余計な時間を取らせないで下さい。
 もう一冊、また一冊、本をそろえる。あ、表紙が破れてる! これは補修キットがないと直せない。さすがに明日です。場所は覚えています。これで最後。あれ、これは日本の小説、置く場所違います。よいしょ、腰を伸ばす。欲求レベルは、大丈夫、まだ3。緊急を要するほどではありません。
 2列目の右側、日本の小説。目的の場所へ、からだの向きを変える。その時、

こつ、こつ、

 あれ? 足音?
 思わず、息を止める。0.5秒。廊下から? ううん、何も聞こえない。耳を澄ます、1秒。やっぱり、何も聞こえない。気のせいでしょうか。
 すうっ、冷たい風。もしかして、寒気。窓は全部閉めてあるし、冷房は最初から入れていない。なに。



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