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 じいいっ、蛍光灯から、頼りない低い音が聞こえた。 
 彼女は、少し顎を引いた前傾姿勢のままで、指先が震えていた。けれど、ぱっちりとした猫のような目は、まっすぐ、少女を見つめていた。 
「では、お言葉に甘えさせていただきます」 
 着替えとシャワー、その言葉は、たいへん魅力的でした。彼女が何者なのか、全く分かりませんし、そもそも学生でない彼女が、夜のお手洗いで、しかも真っ暗で、いったい何をしていたのか見当もつきません。けれど、少なくとも悪い人には、見えませんでした。 
「すいませんがその前に、わたし、職員室に寄らないといけないので、少し時間を下さい」 
「あっ、すいません」 
 この人は、よく謝る人だ。 
「それから、その、下着と靴下、脱いできてもいいですか。その、びちょびちょで、気持ち悪いので」 
「あ、そ、そうですよね! すいません! 気がつかなくて!」 
 彼女はまた顔を真っ赤にして、黒い革の鞄を胸に抱えるような格好のまま、 
「あの、ごめんなさい、そこで、待っていますから」 
、とたとたと、お手洗いから出ていった。 
 ほんとうに、よく謝る人だ。 
 わたしは個室に入ると、まずスカートを脱ぎました。薄暗くてよくは分かりませんが、濡れてはいないようです。それから、下着と靴下。さいわい、コンビニのビニール袋を持っていましたので、その中に入れました。 
 素足で立つお手洗いの床。とても冷たかった。タオルをお借りしたけれど、結局、自分の物を使いました。 
 手を洗って、最後に、明かりを消します。目が慣れると、思ったよりも星明かりが、あかるいことに気がつきました。 
 校舎を出ると、道路に面した電話ボックスの脇に、彼女は立っていました。まだ鞄を、胸の前に抱えたままでした。わたしは一つ会釈をしてその前を通り過ぎると、職員室に向かいます。 
 職員室は1階の一番手前。さすがに他の生徒はもういませんでしたが、職員室からはこうこうと、明かりがもれています。 
 おそらく、生涯でいちばん緊張した職員室でした。素足、おしっこまみれの靴、それから、のーぱん。 
 けれど意外と、先生方は何も言わずに、鍵を受け取り、わたしは務めて表情を変えずに、職員室を後にしました。 
 電話ボックスの脇、彼女はまだ立っています。 
「本当に、よろしいんですか?」 
「もちろんです、その、わたしのせいで」 
 きっかけはあなたですが、我慢できなかったのはわたしですから。別に、気にしないで下さい。 
 それから、駅とは反対の道に、二つの影が歩んだ。歩くたびに、くしゅ、濡れた靴の内側が肌と擦れて、少女は数歩ごと、ため息をつく。 
 どれくらい、10分くらい。住宅街のなかの、小さなアパート。鉄骨の階段を上がって、2階。その、いちばん奥。 
「ここです」 
 彼女が鍵を開ける。 
「すいません、狭いところですけれど」 
アパートの外観を見れば分かります。 
 明かりをつける。細い廊下。左手がユニットバス。その奥がリビングでしょう。 
「どうぞ、上がってください」 
 脱いだ靴を丁寧にそろえながら、彼女が言う。 
「すいません、あの、足の裏、すごく汚れているので、先にシャワー、お借りしてもいいですか?」 
「あっ、はい。すいません、気を使ってもらって」 
別に、気を使ったわけではなくて。わたしも恥ずかしいから。 
「こっちです」 
 やっぱり、左手。 
「あ、そうだ。その、下着と靴下、洗濯します。乾燥機もありますから、すぐ乾くと思います」 
 そんなことまでしてくれなくてもいいです。だって恥ずかしい。思ったけれど、甘えることにした。 
「申し訳ありません」 
 鞄から恥ずかしいビニール袋を取り出し、手渡した。 
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