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わたし、私服でスカート穿いたことないんです。
おむつ、してるから?
はい。一度でいいから、短いスカート穿いて、出かけてみたいな。
今度、穿いてみせてよ。
え?
夢泉さんスマートだから、きっと似合うんじゃないかな。
あ、ありがとうございます。
そして一週間後、彼女はひざよりかなり短い、深緑のギンガムチェックのスカートで、彼を出迎えた。えへへ、穿いちゃった、はにかむ彼女に、かわいいです、青年は答えた。
もうすぐ1時間、というあたりで、彼女ががば、と席を立つ。おトイレ、たぶん小声で、そう言った。部屋を出て、廊下を挟んだ反対側がトイレ。去り際に彼女が扉を閉める。ひゅうう、空気の流れる音がする。そして、とつ、廊下で不意に、彼女の気配が消えた様に感じた。
今日は、先輩はいない。この家には、二人きりしかいない。密室の中で空気が、細く硬い糸のように、張りつく感覚。
彼女の気配が戻らない。青年はゆっくり席を立つ。それから、歩いて4歩、扉の前に立つ。ドアノブを握る。鼓動が指先に伝わるような、振動。空気はいっそう、硬質のしなりを見せ、まとわり、からみつく。
かちゃ
青年は、息を吸いドアノブを引いた。空気の糸が、音を立て食い込み、それから、千切れる。
暗い廊下にさす、白い冷たいひかりの中に、トイレを一枚隔てる扉に片手をついていた彼女が、びく、そのままの姿勢で、首だけ振り向かせる。わずかに開いた唇は吐息というよりは声を紡いだけれど、それは、文字にすることはできない、音。
青年から見て、出入口とは反対、左手側のリヴィングから流れる白いひかりが、彼女の足元でいびつな反射光を揺らめかせていた。
「…し、しちゃい、ました」
視覚情報通りの内容を、彼女の口が、鳥のさえずりのような音で、伝えた。水たまりが小刻みに波打つ。
「拭くもの、雑巾か何か、ありますか?」
ぱちり、ぱちり、空気の糸が切れる。いや、引き千切る。
「あの、そこの、洗濯機のところ」
青年は風のように、指差された場所へ飛び込む。
左手側、リヴィングの手前、花柄のカーテンで仕切られた、浴室と脱衣室を兼ねた洗面台、その隣に置かれた洗濯機に備え付けられたラックの脇に、雑巾が三枚、縦に並べてかけられている。
「少し、拭かれてください。こちらは私が拭いておきますから、夢泉さんはどうぞ、着替えていらしてください。シャワー浴びれば、すっきりしますかね」
彼がまた、風のように舞い戻る。手には、布のかたまり。そのうちのひとつ、濡らしたタオルを手渡す。彼女は片手を扉に着いたまま、目をまん丸くしている。スカートからのぞく膝がまだ、震えていた。
「あ、え、その、みはる、やりますから」
絞り出すような声は、やはり小鳥のさえずりのように聞こえた。
けれどその言葉が消えるよりも先に、青年は体をかがめ、床を拭き始める。
「冷えないうちに、拭いてください。着替えは、お部屋ですよね? どうぞ、取ってきてください」
拭きながら、彼は続ける。
「あ、あの、本当に、すいません」
もう一度彼女はさえずり、つま先立つようにしながら、その場を離れた。すっかり濃く色を変えたグレーの膝下ソックスの土ふまずから、熱気にも似たにおいが流れた。
少しして、彼女が、すいません、また小さな声を上げ、まだ床を拭いている青年の背後をすり抜けて、花柄のカーテンの向こうに消える。それからかたこと、ぱたん、扉が閉まって、くぐもった、シャワーの音。
青年は雑巾を丁寧にたたむと、トイレの扉の前に置き、彼女の部屋へ戻った。
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