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 片足がついに、かってに足踏みを始めた。はやく、はやく、お願いします、はやく!
 ぱっ。信号が青になる。もう、気にしていられるか! 鞄を乱暴に肩にかけ、少女は走った。
 たんたんたん! 靴音が響く。もう少し、もう少しだから!
 横断歩道を渡る。顔はきっとくしゃくしゃだ。走る、自動販売機の前を通り過ぎ、走って、走って、よし、着いた!
 左に入れば、12階建てのいちおう大きなマンション。わたしの家は1階、敷地内にもつつじの植栽、赤、ピンク、白、むらさき。靴音がきっと建物で反響して、やけに大きく聞こえる。
 はじっこの階段4段、上がればすぐ、家!

 すぐ家。

 すぐ家。

 目の前。

 なのに。

しゅ、しゅわ、しゃああああああああ、

 うそでしょ。

 うそ。

 家の扉は目の前。
 あと50センチで、ノブに手がかかる。
 それなのに。

ぱしゃっ、ぱ、たたたたた、ととととと、とっ、

 階段を飛び跳ねるみたいに駆け上がったとき、どん、すごい波が来て。
 家の扉が見えた時、どんどん、さらに波が高くなって。
 13歳の少女は、あっけなく、波に飲まれた。
 すごく我慢したのに、トイレを前にすると気が緩んで。なんて話を、どこかで聞いたことがある。あれは、本当だった。
 ドアノブに手を伸ばした瞬間、あっ、て。
 下着のなかがあっつくなって、あっという間に、太もも、ふくらはぎまで熱が押し寄せて、もう少女は一歩も動けずに、いや、もしかしたら、制服を濡らさないように、わざと足を大きく前に出したまま、動かずに。

やっ、ちゃっ、た、!

 数十分、少女を苦しめ続けてきて、けれど、水と一緒にクリーム色の陶器からどこか知らないところへ流されるはずだったのに、いま足元に、くすんだオレンジ色のざらざらしたマンションの廊下に、午後のまぶしい陽ざしを反射させながら、いびつに、ひろがっている水たまり。
 走ったからか、荒い呼吸が収まらない。肩が、震えるように不規則に上下している。
 はっとして、辺りを見まわす。誰もいない、誰にも見られてはいない。
 わたしの、おもらし。
 一度大きく息を吸って、吐きだす。吐く息が引きつれるみたいに、は、あ、あ、あ、あ、とぎれとぎれ。
 はやく家に入らなきゃ、とにかく今は、それしか考えられない。



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