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「靴、大丈夫ー? きつくない?」
先生はまるでスカートの中をのぞきこむように、上半身を傾けた。ぱら、ストールがほどける。少女はつい、一歩後ずさり、
「は、はい、大丈夫ですぅ」
肩をすぼめながら、答えた。
「また、困ったことがあったらいつでも来てね。靴は、乾くまでにもうちょっと時間がかかるから、時間のあるときに取りに来て。いまのは、そのとき返してもらえればいいからー」
相変わらず甲高い先生の声。そのわりには、甘えたような声にも聞こえる。彼女はいったい何歳なんだろう、少女はときどき、思う。
「制服を乾かすのは、こつさえつかめばけっこう簡単だから、覚えておくと便利よー」
先生はストールを巻きなおしながら、言った。
「はい、ありがとうございます、イルメナウ先生」
少女はひとつ会釈をして、部屋を後にする。イルメナウ先生、と呼ばれた彼女は、その後ろ姿を見送ると、一呼吸置いて、腕を組んだ。そして、少しだけ、眉を寄せて難しい顔をした。
少女はまた、陽のさす廊下を教室へと戻る。まだあちこちの教室で、講義の声が聞こえる。
足あとが残ってはいないか、少女は少し気にしながら見ていたけれど、それらしいものは見つけられなかった。
教室の後ろの出入り口に立つ。同じ状況でここに立ったのはもう何度目だろう。けれど、ふぅっ、と、血の気が引くような感覚が、まだする。
心臓が加速する。少女は息を止め、一歩、踏み出す。教壇では、先生が淡々と講義を続けている。少女は肩をすぼめ、小さくあたまを下げると、なるべく音を立てないように、椅子を引いた。
きっと、水ぶきをしてくれたのだろう、椅子も、床も、まだ少し、湿っているように見えた。
「先生、すみません、ちょっとお手洗いに」
少女が席に着いたそのすぐあとに、手をあげる生徒がいる。
「先生、わたしも」
少し離れた席で、もう一人。
「オーデルさんが戻ったら、急に、」
初めに手をあげた少女が、小声で言った。先生はちら、と二人の顔を見たが、
「どうぞ、なるべく早く戻りなさい」
一瞬、決して広くはない額にしわを寄せ、言った。
立ちあがった二人は前後に並び、ととと、長机の間を抜け、後ろの出入口から教室の外へ出る。すこしして、ささやき声と押し殺した笑い声が、教室の一番前の、廊下側に座っている少女には聞こえた。
「ありぃだって、好きでこんなことしてるわけじゃない」
赤い眼鏡の上を片手でおおって、彼女は、廊下をにらみつけた。
アリエ・オーデル。14歳。イリーバ魔法学校の2年生。銀髪、と言うより、ほとんど透明に近い美しい髪と、陶器のように白い肌は、光り輝くエメラルド・グリーンの瞳と合いまり、一度見たらきっと、忘れることはできない。
彼女がこの学校に来たのは、実はそれほど前のことではなく、ついこの間、長い冬の終わりがようやく感じられるようになったころ。
はじめは、転入生、ということで、それなりに話題にも上り、話しかける生徒もいたのだが、決して社交的とは言えず、むしろ、引っ込み思案で口数も少ない彼女と、友達になろうとするものは少なかった。
昼休み。
多くの生徒たちが、講堂の半地下にある広い喫茶室か、寮の一階にある食堂で過ごすのだが、アリエは早々と自室に戻り、小さな机で硬い黒いパンをかじっていた。
ばたん、
前ぶれもなく、扉が開く。びく、少女はからだをすくませ、音のほうを振り向く。
「もぉ、またそれだけしか食べてない! 午後の授業、持たないよ?」
いらだちを隠さずに、赤い眼鏡の少女が歩み寄った。両手で木製の長方形のお盆を持ち、部屋に入るや、脚で扉を蹴飛ばし、閉める。
レツィタティファ・ザーレ。14歳。アリエと同じ、魔法学校2年生。赤い眼鏡と片結びのポニーテールがトレード・マーク。
彼女はこん、机にトレンチを置く。木製の半球型のスープ皿が2つと、もうひとつの木の浅い皿に、アリエが食べているのと同じ、薄切りの黒パンが2切れ、それと、ごま付きの丸パンがひとつ、乗っている。
「ほら、スープ。せっかく春野菜が出てきたって言うのに、食べないともったいないよ!」
言いながら、腰でぐい、とアリエを押しやると、よよっ、彼女が体勢を崩して出来た座面の隙間に、ぎゅう、腰を下ろす。
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