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「むかしさ、ある女の人がさ、その、恋人が、とっても重い病気になってね、もう助からない、って言われてさ」
「え?」
「でもどうしても恋人を助けたくて、その人は、賢者が住むって言う深い深い森のなかに入ってさ」
「はい」
「そこで自分も死にそうになって、もうだめだって思ったとき、会えたんだ、賢者に」
「、はい」
少女は、目をぱちりと開いて、話に耳をかたむける。
「賢者っていうのは実は精霊使いで、精霊のちからを使って秘薬を作って、女の人に渡した。その薬を飲んだら、たちどころに恋人は元気になって、二人は幸せに暮らしました、って」
「すごい、奇跡ですね」
「わたしが小さいころに聞いた、おとぎ話だよ。でも、わたしは本当に、森の賢者はいるんじゃないかって、ずっと、思ってるんだ」
「それで」
「そう、イルメナウ先生が本当に、森の賢者、って言ったからさ。これはもう、行くしかないでしょ、って」
いつの間にかレツィタティファは、胸の前でシーツを握りしめている。話しをしながら、きらきらと輝く瞳、アリエは目を離すことが出来なかった。
「行きましょう、ちぃ」
「だから言ったでしょ、行くって!」
「はい! わたしも、会ってみたいです」
「ありぃが一緒なら、怖くないよ」
「ルネ先生が一緒なら、ですよね?」
「あれ、もしかしてありぃ、妬いてるの?」
「え? いや、そんな」
両手を顔の前で、ぱたぱた、振った。
「ふふ、ありがと、ありぃ」
少女はすこし腰をのばして、向かいのベッドに腰掛ける彼女の、あたまを抱いた。んん、大好きなにおい、すべすべの肌、彼女は静かに、その硬い鎖骨にあたまを押し当てた。
さて、次の休みの日。
少女たちはいつぞやと同じリュックサックを、しかし今度はぱんぱんにふくらませて背負い、森の入口に立つ。陽はまだ、森の木々の向こう、頬にあたる風は、涼しいくらい。
その、3歩先には、すでに長身の少女が佇んでいた。
おそらく、アリエたちが着用しているものより、ふた回りほど大きなブラウス。襟元には、紺のビロウドのような光沢のリボンを飾っている。
品のよい、水色のパンツからは、身長の半分はあろうかという脚がすらりと伸び、しかし、そのほとんどは、膝よりもさらに長い、淡いシャンパンゴールドの、つやつやとひかるブーツで覆われている。
腰には、太い銀色のコルセット・ベルトがまかれ、その腰のくびれをより際立たせているのだが、それはファッションではなく、このあいだ出会った時には持っていなかった、深い茶色の鞘を、そこに収められた剣を提げるためのものであることは、少女らの目にも明らかであった。
「ひとつ、条件がある」
この朝の空気のような、澄んだ声。長く下ろされた前髪が、顎で揺れる。
「はい」
少女らは、授業中に教師から声をかけられる時と同じように、背すじを伸ばし、応える。
「君たちの授業の妨げにならないよう、森へ入る期間は二日だけとしよう。明日、陽が暮れれば、たとえ賢者に会えなかったとしても、二人には校舎へ戻ってもらう。いいね?」
「はい」
実際、あたまの上から声をかけられているのだが、それ以上に、頭上から響く声に、自然と頷いてしまう。威圧、違う、逆らいがたい、威厳、だろうか。
ルネ様は、実はとても身分の高い家の出でいらっしゃるのです、でなければ、あんなに強く優しく美しいわけがありません。どこかで聞いた話だが、確かにその通りだ、レツィタティファは思った。
「では、行こうか」
くるり、向きを変える。かちゃり、剣が、金属の音を立て、それはとても重いもののようであり、アリエはじっと、鞘を見つめた。
「どこに行けば、賢者に会えるんですか?」
先頭は、迷うそぶりも感じさせず、森を進む。歩幅がぜんぜん違うものだから、後を追う二人はずいぶん必死なのだけど、しばらくそんなふうに進んだ後、レツィタティファは尋ねた。
「分からない」
「へ?」
振り返り、しかし歩みを止めず、彼女は応えた。尋ねたほうは、赤い眼鏡が、ずる、落ちる。
「今、この森のどこに賢者がいるのか、わたしにも分からない。可能性のありそうな場所を、片っぱしから行ってみるしかないんだ」
「そんな、非効率的な」
「だから、暇なわたしが頼まれるんだよ」
振り返り、やはり歩みは止めず、彼女は笑った。
「けれど、先生方は、この森に賢者が、いえ、精霊使いが住んでいることを御存じなんですね?」
「そうだね、知っているよ」
「やっぱり、精霊も、精霊使いも、本当にいるんだ!」
レツィタティファは語気を抑えるように、しかし抑えきれず、呟いた。
「ザーレ君は白魔道士志望だったね?」
「はい」
生徒のことをちゃんと知っている、アリエはやり取りを聞き、感心した。
「なら、薬師の頂点とも言われる精霊使いには、会ってみたいよね」
「はい! ぜひ、お会いしたいです」
「叶うといいね」
会ってからが大変かもしれないけれど。言おうとして、やめた。
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