ー6ー
 夜である。
 ぱち、ぱち、薪が、赤い炎を上げ、木陰のその一角に、ひかりを投げている。
「あ、先生」
 結局この日、賢者に会うことは出来なかった。
 森の奥、そこだけ不思議にひろがる白い花の原、見上げるような高さからどうどうと音を立て水の落ちる滝壺、ひいやりした空気を潜ませぽっかりと口を開ける黒い洞穴、かつて、ルネが賢者と会ったという場所をいくつか尋ねたが、どれも、目的を果たすことは叶わなかった。
 陽が落ち、木々のあわいから黄昏がやってくる頃、今日はこれまでにしよう、ここで一夜を明かそう、見張りはわたしがする、何かあったら起こすから、休める時に休むといい、ルネの提案に、すっかり疲れ果てていた二人は、こくりと頷いた。
 それでも、彼女がどこで捕まえたのか、一匹のうさぎと二匹の野鳥を、見事な手つきでさばき、火であぶる様を見れば、すごい、ルネ先生はなんでも出来るんですね、アリエは目を輝かせ、これ、味付けに使って下さい、わたしの作ったハーブソルトです、レツィタティファは荷物から、小さな硝子びんを取りだし、きっと生まれて初めての、森のなかでの夕食を満喫した。
 その、まだ香ばしいにおいの残るようなたき火のわき、二人の少女は持参した寝袋にくるまる。顔のほかは全身をすっぽりとおおう麻の寝袋は、決して寝心地がいいわけではなかったけれど、毒虫なんてを寄せ付けないといういくつかの薬草の成分が染み込ませてあって、野宿をする生徒たちの必需品であった。
「眠れない?」
 たき火の傍らにしゃがんでいた彼女は、もそもそ、寝袋から出てくる少女に声をかける。
 炎に照れされる少女の銀色の髪は、まるで燃えているように、肌とともに赤く染まる。
「あ、いえ、その」
 少女は半身を起したまま、きゅう、と背中をまるめた。
「その、お、おねしょ、してしまって」
 ぱち、薪のはぜる音に消えてしまいそうな声で、少女は呟いた。
「あらら、制服の浄化は、まだできる?」
 アダマン布は、光を源に浄化の作用を発揮する。光の乏しい夜では、浄化作用はもちろん、発熱などの効果も衰えるのであるが、それを補うための仕組みもまた、備えている。
 授業の際などは外している生徒も多いのだが、魔法学校の制服は、ブラウスとスカート、それに、ショートマントのように後ろの伸びた金のカラーと、赤い魔晶石が中央にはめ込まれた、同じく金のコルセット・ベルトによって成っている。
 カラー部は光を吸収してちからに変換することができ、そのちからは、コルセットの魔晶石に蓄えられ、たとえ光の乏しい環境でも、ある程度、浄化や温度調節ができるのである。
「はい、たぶん、大丈夫です」
「なら、濡れたものはそこの小川で洗ってしまうといい。寝袋も一緒にね、火のそばに干しておけば、朝までには乾くだろう」
「はい、ありがとうございます」
 アリエは寝袋から抜け、タオルを荷物から取りだす。それから、背後からわずかに漏れる光をたよりに、寝袋を引きずりながら、川辺を目指した。せせらぎの近いところを野宿の場所に選んでくれた先生に感謝したのだが、あれ、夢のなか、心地よい水音につられてついおしっこをしてしまったような、ちょっと、複雑な気持ち。
 感覚を頼りに、川辺で寝袋と下着をゆすぎ、それから濡らしたタオルで、肌をぬぐう。冷たい、すっかり重くなった麻布のかたまりをしょって、火のもとへと戻る。よいしょ、枝にひっかける。薬草の、甘いようなにおいをさせ、ぽたぽた、しずくが落ちる。
 そのまま、背中をたき火の方に向け、腰を下ろした。寝袋のなかでしてしまったものだから、当然、ブラウスもスカートも、後ろ側はびっしょりで、浄化作用によって、もうすっかり、においもしないほどであったけれど、先生に見られるのはやはり、恥ずかしかった。
 自然と、先生と向き合うかっこうになり、彼女の、炎によって陰影が落ちる、すっきりと通った鼻すじや大きな目は、それはそれは美しく、アリエは思わず見とれてしまう。ちぃや、他の生徒たちが熱を上げるのも無理はない、思った。
「先生は、お若いのにお強いですね」
 蟹だか蜘蛛だかわからないけれど、あいつは、あの後2匹も襲ってきて、今度は出会いがしらに、ルネは腹側から、一刀のもと両断した。
「そう? いちおう、剣術指南だからね」
 その答えはどこか、冗談めいて聞こえた。
「どうすれば、そんなに強くなれるんですか?」
「強くなりたいから、かな」
 ぱち、炎がまた一つ、はぜる。
「どうして、強くなりたいんですか?」
「叶えたい願いがある、からかな」
「叶えたい願い?」
「自分の願いを叶えられるだけの強さが欲しい、そう、思ってはいるよ」
 少しうつむいた先生の顔には深い影が落ちていた。
「日の出まで、まだ時間がある。休めるときに休んでおくといい。わたしのとなりに座るか?」
 顔を上げ、先生がほほ笑む。まなざし、やっぱり、カンタートさんに、似ている。



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