ー4ー
「設立当時は、本当に大変だったそうです。と言うのは、わたしもまだそのころは、この会社にはいませんでね。あなたと同じくらいの学生でしたよ」
 お前の話は聞いてない。って、ちょっと言いそうになった。言わないけど。でも、できれば早く終わらせてほしい。

おしっこしたい。

 回答例に交じり、予期せぬブロックが落ちてきた。おしっこしたい、おしっこしたい、やばいこれ、消せないブロックじゃん。
 男性は、話しを続けている。いま、設立5年目あたりみたいだ。ちょっとこれ、面接、終わっていいんじゃないの? おしっこしたいブロックを何とかすり抜けて、回答例を導く。はい、なるほど、大変感じ入ります。
 スカートから顔を出す両の膝こぞうが、ぴったり、くっついて、熱っぽい。不自然に上がりそうになる肩を、なんとか、前後に逃がす。
 鞄のなかのほとんど空になった、500ミリのミネラルウォーターが恨めしい。予定の時間より少しはやく着いたので入った喫茶店の、アイスコーヒーが恨めしい。消せないおしっこブロックが、積み上がる。
「それでね、わたしはこの会社を、もっと地域に愛される会社にするために」
 いつのまにか、話は彼の理想へと変わっていた。これ、聞かなきゃいけないの? はい、はぁぁ、そうでしたか。おしっこブロックの隙間に入る回答例はもはや、限られている。
 パンプスの底がふるえながら、床についたり、離れたりをくり返す。握られたこぶしはしかし、もっとも届かせたいそこの真上で、かたいスカートに阻まれ、決して届くことはない。
 おしりの上のほう、じっとりと、いやらしい汗がにじんで、熱い。けれどほんのりチークの入った白い頬は、まるで熱を抜いたみたいに冷たく、ひたいに前髪がへばりついているのが、分かる。
 おしっこブロックはもう、天井まで届きそうで、わずかな空間を、はい、そうですね、が、ふらふらさまよう。
 おしっこ、おトイレ、おもらし。
 いちばん来てほしくないブロック。
 面接でおもらしなんて、ネットでしか見たことない。背すじを伸ばす。膝こぞう、ぎゅっ。ちからを集める。くくくく、筋肉がかたくなる。その分、痛みが増す。大丈夫、だいじょうぶだから!
「ご気分、悪いですか?」
 その言葉は、耳ではなく、胸に、突き刺さった。
 男性はすこし首をかしげて、わたしを見ている。気づかれた! 大丈夫です、とっさに口をついた。大丈夫じゃない、いますぐおトイレ、行きたい!
「では、これで面接を終わりにします」
 よし、間に合う! 鞄を持って、立ちあがって、ありがとうございました、それで、

ヴ、ヴヴヴ、ヴ、

 くぐもった音。バイブ音。わたし!? いや、そんなはずはない。
「おや、ちょっと失礼」
 彼が、スーツのポケットからスマートフォンととりだした。
 うそでしょ、面接時に電源切っておくとか、常識でしょ?
 彼は体を横向きにして、電話に出た。
 目に映るのは、雨のように落ちてくる、おもらしブロック。
 今ならまだ間に合う、おトイレ。もう面接なんて知ったことか。面接中におもらしなんてしたら、ぜったい不採用でしょ? このまま退室したって不採用、おもらししたって不採用、だったら、おもらし回避でしょ!?
 息を吸う。立ち上がれ、部屋を出ろ! なのにどうして、体が動かない。もういい、足を組んだ。スカートの上からぎゅう! そこを押さえた。不自然な前かがみ。きりきりきり、内臓がきしむ。痛い、痛い、でも、ちからを緩めるわけにはいかない。
 彼女は足を組んだ。彼女の肌の色よりも少し濃い色のストッキングが擦りきれそうなくらいくっつける。その間で、ねばりつくような熱気が渦を巻く。
 彼の目線を盗んで、上半身をよじる。くちびるを噛む。彼はまだ電話を続けながら、ときおりちら、こちらを見て、ゴメンネ、と言うように顔をしかめる。その時だけ、無理やり笑顔を作る。
 奥歯がかちかち、合わない。スカートの上で握られた指先が、ふとももに食い込んで痛い。けれど、その痛みは、お腹のしたに抱え続けている痛みを、少しだけ、忘れさせてくれる気がする。



←前 次→