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 その日の夕暮れ。空の黄昏の紫に、少女たちのローブが溶けるころ、三人は森を抜けた。目の前にはどこまでも草原が波うっており、はるか遠くに畑か、あるいは小さな集落か、夕焼けの最後のひかりにぽつ、ぽつ、浮かぶ影。
 振り返れば、先程までまる半日、歩き続けた森が黒々と広がり、三人の傍らには、今夜の目的地、木組の二階建ての『山小屋』。
「2人ともお疲れ様、今夜はよく休むといい」
 ルネに促され、少女らは山小屋の、木の引き戸を開ける。
「いらっしゃい、お疲れ様」
 中年の、すらりとした女性。えんじ色のゆったりとしたスカートに、薄い黄色のブラウス。そして、白いエプロン。少し目じりの下がった細い目に、白銀に近いブロンドの髪を、うしろでひとつに束ねている。
 三人の姿を見ると、彼女はぱっと眼を見開いた。
「ルネ先生じゃありませんか! 引率の先生が見えると聞いていましたが、まさか、ルネ先生だなんて珍しい!」
「どうも、たまにはわたしも、外に出てみたくなりましてね」
「ルネ先生、どこへ行っても有名なんですね」
 アリエは小声で、友人に告げた。
「そうだね」
「あら、ごめんなさいね。ちょっとびっくりしちゃって。あなたたち、学年と名前を教えてもらえる?」
「はい。2年、レツィタティファ・ザーレです」
「同じく2年、アリエ・オーデルです」
「よろしい。まず2人に、北部商工連合さまから、連絡が入っていますので、お伝えします。『明日早朝、魔法学校正門宿泊所までお迎えに伺います』、以上です」
「確かに確認いたしました。ありがとうございます」
 眼鏡の少女は、両手をおなかの下で重ね、頭を下げた。つられて、傍らの少女もぺこり、頭を下げる。
「では、今夜はゆっくり、休んで下さいね。二人とも、ここを使うのははじめてね?」
「はい」
「ちょっとだけ説明しておくわ。まず、この奥が食堂兼応接間。それから、この階段を上がって2階が、寝室。シャワー室とお手洗いは供用だから、譲り合って使ってね。とはいえ、今夜の利用はあなたたちだけだけれど」
「お、ついてるね、ありぃ」
「はい!」
 ひそひそ。
「じゃあ、晩ご飯の支度ができたら、声をかけるから、それまではゆっくりね」
「はい、ありがとうございます!」
「ここの食事は、学校の食堂よりもおいしいと評判ですからね、楽しみです」
と、ルネ。
「誰? そんなこと言うの」
笑顔。
 三人は二階に上がり、荷物を下ろす。制服により浄化されているから、じっさいはそれほど気にすることはないのだけれど、それでもまる半日歩き続けた少女らは、自分のからだのにおいが気にかかって、まず、シャワーを浴びることにした。
「ありぃ、先に行っておいでよ、わたし、その次に入るから」
 いちばんにルネ先生に、と、ふたりとも強くすすめたのだけど、わたしは後でいい、あっさり、かわされてしまった。
「じゃあ、すいません。お先に失礼します!」
 タオルと着替えを抱えて、アリエが寝室を出る。温かな木肌ののぞく部屋に、ベッドが四つ、十字に通路を開け、並べられている。寮の二人部屋と、同じくらいの広さか。
 さて、アリエが部屋を出たのを見送り、窓辺に立つルネのもとへ、レツィタティファは歩んだ。それから、少し手招きをする仕草。背の高いルネは上半身をかがめる。おもうより距離が近い。わたし、汗くさくないかな!
「なんだい?」
 いや、気にしている場合ではない。もっと大事なことを、ルネ様に伝えなければならない。
「先生、ありぃといっしょに寝るの、はじめてですよね」
「ん、そうだね。それが何か?」
 言うべきか言わざるべきか、いや、言わねばならぬ。
「その、ありぃの、あの赤いひかり、実は、ありぃが寝ている間に、たぶん無意識に、発せられることがあるんです」
 鼓動が速い。頬が熱くなる。
「ほう。と言うことは、つまり?」
「わたしたちが寝ている間に、その、ひかりを浴びたら」
 わたし、なんでこんなにどきどきしてるの!
「なるほど。ベッドを濡らしてしまうかもしれない、と」
「はい」
「それは困ったねぇ」
 レツィタティファの脳裏に電撃のように閃くのは、ベッドを濡らし困った顔をしているルネ先生。わわわわ、わたし、なんてこと想像してるの! でも、ちょっと、見てみたいの!
 興奮、背徳。少女はこぼれそうになる吐息を、すんでのところで噛み殺した。
「分かった。気をつけよう。と言っても、どう気をつければいいのかなぁ」
 ルネが首をかしげる。
「あの、わたしたちは、その、これ」
 レツィタティファはいそいそ、自身のリュックまで歩み寄ると、その中に詰め込まれた、分厚い座布団をひっぱりだした。
「これを、ベッドに敷いておいて、その」
 わたしもしかしていま、とても恥ずかしいものを見せているんじゃないか。
「なるほどね。わたしの分は、無いよねぇ?」
「あ、え、すいません」
「冗談だよ」
 ってこれ、ルネ様の分をご用意していたら、ルネ様の後始末、できたかもしれないってこと!? わー、わたしのばか!
「そうだ、ザーレ君、君に聞きたいことがあったんだけど」
「はい! なんでしょうか!」
「オーデル君の赤いひかりを浴びたとき、体の変化を感じたことはあるかい?」
「え? その、お小水がすごく近くなるくらいしか」
「そうか」
 また、首をひねる。 「先生は何か、お感じになるところがあるんですか?」
 レツィタティファが聞き返す。少しの間の後、
「体が軽くなる、と言うのかな。普段以上の力が発揮できるような気がするんだ」
 ありぃのひかりを受けたとき、猛烈な尿意に耐えるのにせいいっぱいで、それ以外の変化には、気づけていなかった。いままで、きっと誰よりも多く、あのひかりを浴びているというのに。
「はっきりとは言えないけれど、もしかしたらあのひかりは、オーデル君だけでなく、ひかりを浴びたすべての生き物の力を高めるものかもしれない」
「お先に、ありがとうございました」
 きぃ、扉が開いて、パジャマ姿のアリエ。ほのかの白い湯気を纏っている。
「ザーレ君、お先にどうぞ」
「え、はい! 失礼します!」
 きっと先生は、この話をありぃに聞かせたくはなかったのだろう。そう思い少女は荷物を取るとぱたぱた、扉の向こうに消えた。
「先生、どうも、お先にありがとうございました」
 アリエ、ちょこんと頭を下げる。
「いいや、お気遣いありがとう。さっぱりしたかい?」
「はい! 木のにおいがして、とっても気持ち良かったですぅ!」
「それはよかった」
 ひと呼吸置いて、ルネが言葉を続けた。
「アリエ、ちからが使えるようになってから、森の外に出るのは初めて?」
「え、あ、はい。そうです」
 少し考えてから答えるが、なぜ問われたかが分からず、アリエはルネを見つめた。
「そうか。わたしの推測だけれど、おそらく、君のちからは森によって、ずいぶん抑えられていたんじゃないかと思うんだ」
「え?」
 まだ、よく理解ができない。
「森の外では、君のちからはさらに強く作用するんじゃないかな」
「さらに、強く、って、もしかして!」
 少女の目が見開かれる。
「もっとたくさんの人が、おしっこしたくなっちゃう」
 とても真剣な顔。
「それもあるかもしれない」
 ルネ、ちょっとだけ苦笑い。
「ひょっとすると『魔人』と同じくらいの力を発揮できるかもしれない」
「え、、、」
 少女の口もとがかたまる。魔人、って、そんな。あれは、同じ人間じゃない、って。
「相応の稽古を、君にはつけてきたつもりだ。力を恐れるな。けれど、力に飲まれるな」
「は、はい」
「強い望みがあれば、きっと、力は君を助けてくれる。与えられた力を、信じるんだ」
「はい」
 そうだ、ルネ先生みたいに、強くなりたい。大切な人を守るために。
「ありぃが、魔人、、、?」
 扉の外。息を殺して聞き耳を立てていたもう一人の少女は、戦慄から逃れるように、静かに、静かに、シャワー室へと向かった。



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