−5−
 給仕が銀のワゴンに乗せ飛び切り大きな皿を運んできた。皿の上には、赤、桃、薄緑、茶、金、あふれるばかりの色の、たぶん、お菓子。それも、山のよう。
「スウィーツは別腹、だよねぇ。ありぃ」
「は、はい」
 どうしましょう、わたし、その、、、
 見たこともない、お菓子。ケーキとか、クッキーとか、何となく名前が分かるものもある。けれど、積み上げられた丸いもの、金の縁取りのされた黒いもの、たぶん木の実の、たくさん乗ったもの、それらがいったい、どのようなお菓子なのか、味なのか、まるきり見当もつかない。くまさんグミ、は無さそうだったけれど。
 ふたりは、目を細め、山をくずして自身の皿に盛っている。わたしも食べてみたい。でも。
 食欲を、もう一つの欲求が、上回った。
「あの、わたしッ、お手洗いに、、、ッ」
 少女はうつむいて、精いっぱいの小さな小さな声で、絞り出した。
「ごめん! 間に合う?」
 親友はぱっと表情を変える。ごめん、と、しまった、の入り混じったような表情。すぐさま、すいません、御不浄は、さっと手を挙げ、給仕を呼び、ええ、そこの、右の、わかりました。ありぃ、そこを右に行って、まっすぐだって。ひとりで行ける? はい、だ、大丈夫、ですぅ。
 親友の楽しいひと時を邪魔してしまった。少女はうつむいたまま立ち上がる。立ち上がると、ずん、今まで流し込まれていた液体が、一気に体の下まで落ちてくるような、重さ。分かっていた。はじめからずっと、飲んでばかり。でも、楽しくて。くぅッ、スカートのすそをぎゅうとつかみ、歩き出す。そうっと、そうっと。でなければ、こぼれてしまいそう。
 ふかふかのじゅうたん。この上でなんて、ぜったいだめ。ちからを入れなおす。けれど、一歩すすむごと、つぅッ、しずくが、濡れる。気付いていた。もう、限界だって。でも、ふたりの時間を邪魔したくなくて。がまんしなきゃ、まだだめ、がまんしなきゃ!
 三人を招き入れた、大きな入り口の手前、右側、細い通路があった。足を踏み入れると、照明が少し暗くなった気がする。冷たい光沢の石の床。足を滑らせてしまいそう、そんなことになったら、もう。
 そうだ、周りには誰もいない。少女は上身をかがめ、ぎゅう、スカートの上から、思いきりそこを抑えつけた。指先にかすかににじんだしめり気は、汗か、それとも。
 通路が果てしなく長く感じる。学校の廊下の一番端のお手洗いを、おしっこを我慢しながら目指す、あの感じ。もう少し、あそこを曲がれば、お手洗いだから、もう少しだけ、もう少しだけ! ここでおもらししたら、きっとまた、ちぃに迷惑かけちゃう。だから。
 こつ、こ、こつん。踵が床を打つ、不規則な音。しびれたように冷たい指先にしかし、染みこむように、熱。
 あとちょっと、あとちょっとですぅ!
 荒い息を隠しもせず、少女が角を曲がった、その次。
 ふわっ。
 黒い影が、目の前をよぎった。
「ひゃ!?」
「申し訳ありません!」
 その影が、声を発し、ああ、給仕さんですぅ。気づいた、瞬間。んんッ、だめぇ!

じゅわぁっ、じょふ、しゃぱぁぁぁぁぁっ、

 少女の体はもはや、欲求を押しとどめることはできなかった。
 耐えに耐えていた熱い液体が、止まることなくあふれ続ける。太ももを伝い、いやもっと大きな流れとなって、ぱちゃぱちゃぱちゃぴちゃあ、床を打つ。

止まらない、止まらないですぅ!

 少女は両手を、熱の源に押し当てたまま、止まることを忘れたように流れ続ける音の終わりを待つことしかできなかった。かちかちに身体をこわばらせて、同じよう硬直している給仕の少女に、見つめられたまま。
 ぴちゃん、しゅ、いぃ、つうぅっ。長い長い、お粗相が終わる。
「あの、すいません! すぐに片づけますから!」
「え?」
 少女らは、きょとん、として顔を見合わせた。なぜなら、二人の少女の発した言葉は全く同一であり、可愛らしく、と言ったら当人たちにははなはだ不本意かもしれないが、響きあったのだから。
 ふ、ふふふっ、それから、どちらからともなく笑みがこぼれた。けれど、少女の給仕ははっと真顔になり、とたたっ、もと来た方へと引き返す。その向かった先は、もう一人の少女が、たどり着きたくて、たどり着けなかった場所。
 がたんごとん、音が響いた。そして、彼女はモップとバケツを手に現れ、冷たく光る床にまだぬくもりを残して広がる液体を、拭き始める。
 彼女はまだ、ここへ来て日が浅いのだろう。その所作や、ころころと変わる表情から、アリエにもそう、推測できた。あ、もしかして。この子もお手洗いから出てきたとしたら、もしかして、お仕事が忙しくて、なかなかお手洗いに行けなくて、それで。
「あ、す、すいません! 自分でやりますぅ!」
 は、と、我に返る。わたし、何をしているんでしょう。おもらし、見ず知らずの人に拭いてもらうなんて!
 と、とん、動こうとして、くしゅ、くしゅっ、靴の中からまたずいぶんな量のおしっこがこぼれて、少女の給仕が、はっとしたように、その足跡を拭き始めて、はわわわわ、わたし、どうしたらいいんでしょう!
「あ、ありぃ!」
 背後で声が響いた。それからたったったったっ、小走りの足音が近づいて、あ、ちぃ、振り返った親友の姿を見て、あちゃあ、事態を察した眼鏡の少女は、眉間にしわを寄せた。
「あの、お連れ様ですか? 申し訳ございません、わたくしの不手際で、こんなことに」
 少女の給仕はモップを両手で握ったまま、深々とあたまを下げた。
「あ、いや、こちらこそ、お手間を取らせまして」
 いつものことですから、とは、さすがに言わず。
「こちらで掃除をしておきます、なにか、ご用意するものはございますか?」
 彼女はまだすまなそうな顔をしたまま続ける。
「あ、いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
「ありがとう、ございますぅ」
 やはり深々と、あたまを下げる。
「ありぃ、スカートだけ乾かしちゃおう。じっとしててね」
「はい」
 レツィタティファはぐっしょりと染みを残したアリエのスカートの前に手をかざす。ふううっ、スカートから湯気が上がり、ぱさっ、すっかり乾いたプリーツが揺れる。
「す、すごい! 魔法が使えるんですか?」
 少女の給仕が手を止め、食い入るように見ていた。はぅぅ、そんなに見ないでくださぁい。
「あぁ、わたしたち、魔法学校の生徒だから」
 眼鏡の少女は、ちょっと得意げに言った。ほんとは今の、ほとんど制服の力だけどね。
「すごいですね、魔法って。わたしは、何もできないから、、、」
 独り言のように、少女の給仕。
「そんなことないですぅ! わたし、おもらししちゃったのに、こんなにきれいにしてくれました。とってもうれしかったですぅ!」
 そう語る銀髪の少女の口調は、少し、熱を帯びていた。
「それじゃあ、行こうか、ありぃ。ルねぇさん、もう部屋に戻ってるよ」
「はい。本当に、ありがとうございました」
 もう一度アリエは深々とあたまを下げ、二人はその場を後にした。



←前 次→